一連の会議が終わった11月16日の夜、私は安倍に呼ばれて、ブリスベン市内のホテル14階の安倍が宿泊する部屋に向かった。秘書官に案内されて部尾に入ると、私はまずはその狭さに驚いた。私はこれまで幾度となく安倍の外遊先のホテルの部屋を見てきたが、ブリスベンの部屋はこれまでで最も狭く、一国の総理の宿泊施設とは思えないほど安普請だった。オバマ大統領や習近平国家主席が一泊10万~25万円前後のスイートルームに泊まるなか、この部屋は日本円で約2万円。ドアを入って左側の限られたスペースに質素なソファセットが押し込まれ、右側の壁には小さなデスクが作りつけられていた。すぐ奥の暗がりには安倍が休むであろう普通サイズのベッドが見えた。まるで大学入試のために上京した受験生が予約したビジネスホテルみたいだった。
「たとえ国民に不人気な法案でも必要と判断すれば果断に実行する」という姿勢が、大衆迎合の言説を凌駕したのではないか。
反安保だけではない。「ガソリン値下げ隊」「最低でも県外」「消費税増税反対」。2009年の政権交代前夜から、民主党政権時代に受けた国民の落胆は、耳触りのいい政策そのものへの懐疑心へと変質した。日本の有権者は、たび重なる失望から学習したのだ。少なくとも、有権者はここ数年で、政治家がぶち上げる政策の中身もさることながら、その政策への思いや本気度など、政治家の信念の有無を値踏みするようになったといえる。そして国民の静かな、しかし重要な意識変化によって、永田町の力学も大きく変わりつつあるのだ。
メディアはえてして、政権内部の人間関係が円満な時には「なれ合い」と批判し、意見の食い違いが見られる時は「不協和音」「閣内不一致」と攻撃する。果断な決断をした際には「独裁者」、協調を優先すれば「優柔不断」、党や役所の自主性を尊重した場合は「丸投げ」と攻撃する。要するに、為政者が「何を」「どう」やろうとも、メディア側はそれを批判する形容詞を用意しているのである。
「最も総理にしてはいけない人物」
「安倍は人間じゃない。叩き切ってやる」
これらは酔客の戯言ではない。れっきとしたテレビキャスターや大学教授による、公の場での安倍に対する発言である。(中略)
一般人の感想ならまだしも、もしジャーナリストや学者を名乗る人物が「最も総理にしてはいけない」と断定するなら、根拠を示す必要がある。一国の宰相とはどういう仕事であり、どのような人物が適しているのかという点について見解を表明した上で、対象となる政治家の人格について客観的事実を示し、適不適を評定するのが責任ある発言者の態度だといえよう。これができないのであれば単に感情的に批判していることは明らかであり、その論評はジャーナリズムにもアカデミズムにも属さないと言わざるを得ない。
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作家になって10年、これまで20冊以上の本を出してきたが、『カエルの楽園』ほど「売れてほしい!」と思った作品はない。いや、「売れてほしい」じゃなく、「読んでほしい!」だ。図書館でもいい、人に借りてもいい、とにかく一人でも多くの人に読んでもらいたい。特に若い人に!
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2016年3月11日
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福田恒存
今の世の中では人命尊重ということから、殺人が一番悪い犯罪になっていますが、私は人質犯罪は、殺人以上に凶悪な犯罪であると思うのです。つまり人の弱みにつけこんで、人質をとってお前がいうことを聞かなければこいつを殺すぞという、これくらい悪い犯罪はない。もしかれらの要求をいれて人質の命を助けるために、明らかに犯罪者として逮捕している人間を釈放するということになれば、国家、政府の権力がかれらよりも弱いということを立証することになるのです。これができればどんな犯罪でもできる。こうして日本の国家全体を否定するようなことを要求しても、人質を持ってさえいればできるのだという観念を人々に植えつけてしまう。これは実に大きな問題だと思うのです。五十人の命を助けるために、一億人の人間を危険に陥れる可能性を与える。そんな場合には、一億人に比べれば五十人なんかたかがしれているのだから殺してしまえばいい、というのが私の考え方です。
歴史は既に存在してしまったものです。われわれが、歴史に対してこういう風であってもらいたい、こういう風に直したいと思っても、もうとり返しがつかない。ところが、日本の歴史は既に存在しているということを、今の歴史家たちはどうやら忘れている。つまり歴史は親みたいなもので、私達は日本の歴史の子供なのであります。その子供の立場から過去の歴史を裁いていこうというものの考え方が既にまちがっている。歴史をして私達に仕えしめてはならない。私達が歴史に仕えなければならないのです。ところが、今の歴史学者はすべて歴史を私達に、すなわち現代に都合のいいように仕えさせるというようなことをやっているわけです。
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