私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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朝日、毎日、サンモニのディレクターにも読ませたい良著「総理」

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 最近読んだ本に、元TBSのジャーナリスト、山口敬之氏の「総理」がある。その中に、興味深いくだりがある。

 一連の会議が終わった11月16日の夜、私は安倍に呼ばれて、ブリスベン市内のホテル14階の安倍が宿泊する部屋に向かった。秘書官に案内されて部尾に入ると、私はまずはその狭さに驚いた。私はこれまで幾度となく安倍の外遊先のホテルの部屋を見てきたが、ブリスベンの部屋はこれまでで最も狭く、一国の総理の宿泊施設とは思えないほど安普請だった。オバマ大統領や習近平国家主席が一泊10万~25万円前後のスイートルームに泊まるなか、この部屋は日本円で約2万円。ドアを入って左側の限られたスペースに質素なソファセットが押し込まれ、右側の壁には小さなデスクが作りつけられていた。すぐ奥の暗がりには安倍が休むであろう普通サイズのベッドが見えた。まるで大学入試のために上京した受験生が予約したビジネスホテルみたいだった。


 舛添要一に是非読ませたい。

 「総理」は、第一次政権の退任から現在までの政治家安倍晋三を追ったドキュメントだ。2007年の第一次安倍政権崩壊から5年後の総裁選に出馬するまでの復活過程に形成された、安倍政権の骨格や行動を支える「芯」を紐解き、その過程で一貫して重要な役割を担った麻生太郎、菅義偉というふたりの屋台骨をからめながら、ストーリーが進む。中川昭一氏の死が、安倍総理の再出発に大いなる使命感を与えた。ちなみに、中川氏の死と戒名、東日本大震災での小学生との約束の部分は、涙腺決壊必至だ。

総理


 反原発、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認など、安倍総理は不人気な法案、票を取れない法案にも、果敢に挑戦してきた。不人気な政策を実行しても、安倍政権の支持率は高止まりしている。これについて山口氏は、国民が民主党政権の失敗と失望から学習したのだと書いている。

 「たとえ国民に不人気な法案でも必要と判断すれば果断に実行する」という姿勢が、大衆迎合の言説を凌駕したのではないか。

 反安保だけではない。「ガソリン値下げ隊」「最低でも県外」「消費税増税反対」。2009年の政権交代前夜から、民主党政権時代に受けた国民の落胆は、耳触りのいい政策そのものへの懐疑心へと変質した。日本の有権者は、たび重なる失望から学習したのだ。少なくとも、有権者はここ数年で、政治家がぶち上げる政策の中身もさることながら、その政策への思いや本気度など、政治家の信念の有無を値踏みするようになったといえる。そして国民の静かな、しかし重要な意識変化によって、永田町の力学も大きく変わりつつあるのだ。


 この「意識変化」は、来る参院選と都知事選で試されることになる。

 山口氏は、ジャーナリズムの政権批判のメカニズムを、こう解説している。

 メディアはえてして、政権内部の人間関係が円満な時には「なれ合い」と批判し、意見の食い違いが見られる時は「不協和音」「閣内不一致」と攻撃する。果断な決断をした際には「独裁者」、協調を優先すれば「優柔不断」、党や役所の自主性を尊重した場合は「丸投げ」と攻撃する。要するに、為政者が「何を」「どう」やろうとも、メディア側はそれを批判する形容詞を用意しているのである。


「最も総理にしてはいけない人物」
「安倍は人間じゃない。叩き切ってやる」

 これらは酔客の戯言ではない。れっきとしたテレビキャスターや大学教授による、公の場での安倍に対する発言である。(中略)

 一般人の感想ならまだしも、もしジャーナリストや学者を名乗る人物が「最も総理にしてはいけない」と断定するなら、根拠を示す必要がある。一国の宰相とはどういう仕事であり、どのような人物が適しているのかという点について見解を表明した上で、対象となる政治家の人格について客観的事実を示し、適不適を評定するのが責任ある発言者の態度だといえよう。これができないのであれば単に感情的に批判していることは明らかであり、その論評はジャーナリズムにもアカデミズムにも属さないと言わざるを得ない。


 この部分を、山口氏を首にしたTBS、特にサンモニのディレクター、朝日、毎日らのサヨクメディアの記者やデスクにも読ませたい。

 「総理」は、政治家の内面まで深く入り込み、安倍晋三という政治家の人間性までを深く掘り起こした良著だ。

総理
総理



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[ 2016/06/19 10:01 ] 本棚 | TB(0) | CM(6)

若い世代に、特に子供たちに読んでほしい、百田尚樹著「カエルの楽園」

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 少し前に百田尚樹氏の新著、「カエルの楽園」を読んだ。百田氏はご自身の最高傑作とPRしているが、私の百田本のベストは「海賊とよばれた男」、「永遠の0」、「影法師」あたりなので、最高傑作と言う百田氏には必ずしも賛同しないが、それでも良著であることにはかわりない。

 ソクラテスというアマガエルが、生まれ育った土地をダルマガエルに奪われ、安住できる土地を求めて、仲間と共に旅に出る。マムシやモズ、大きなカエルに襲われ、仲間はどんどん減っていき、残ったのはロベルトというカエルと2匹だけになる。そんな2匹がたどり着くのが、平和の国“ナパ-ジュ”。ナパージュはツチガエルの国で、アマガエルのソクラテスやロベルトを優しく迎え入れてくれる。

 ナパ-ジュには三戒があり、これを守っている限りは平和であると信じられている。その三戒とは「カエルを信じろ」、「カエルと争うな」、「争うための力を持つな」。ナパ-ジュは崖の上にあり、崖の下には凶暴なウシガエルが住んでいる。ウシガエルはそこで、他のカエルを食べて暮らしているのだが、何故その凶暴なウシガエルがナパ-ジュに攻めてこないかというと、それは三戒があるからだ、と信じられている。その説を吹聴するのが、ナパージュで物知りとして知られるデイブレイクら。

 ナパージュには「我々は生まれながらに罪深きカエル・・・」で始まる「誤りソング」がある。過去に他国のカエルに残虐行為をはたらいたことを反省する歌だが、デイブレイクは、日々集会を開き、ナパージュのカエルが再び酷いことをしたり、争いを起こさないようにカエルたちに指導しているという。実際には、スチームボートという年老いた巨大な鷲がナパ-ジュを守っていたのだが、デイブレイクらはそれを認めない。

 そんなある日、平穏な国ナパージュを揺るがす大事件が起こる。崖の下にいながら、三戒があるナパージュを襲わないと言われていたウシガエルが、崖を這い上がり、ナパージュに姿を見せる・・・。

カエルの楽園


 あまり詳しく書くとネタバレになるので、このくらいにしておくが、まだ読んでいない方でも、上記のざっくりした紹介文で、この本に何が書かれているかは想像できるだろう。

 平和の国ナパージュは、日本。JAPANをひっくり返してNAPAJにしたものだと思われる。そして三戒とは明らかに憲法9条だ。崖の下のウシガエルは支那で、ナパージュをまもる巨大な鷲スチームボートが在日米軍。デイブレイク(夜明けの意)は明らかに朝日新聞のもじりだ。フラワーズ(お花畑)という若いカエルたちはSEALDsだろうし、南朝鮮に見立てたエンエンという国も出てくる。物語の形式は寓話だが、リアルな日本と日本を取り巻く現状をその寓話に込めた、痛烈なアイロニーなのだ。

 「カエルを信じろ」
 「カエルと争うな」
 「争うための力を持つな」

 三戒のうち、「カエルを信じろ」は、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」を凝縮したもの。「カエルと争うな」、「争うための力を持つな」は憲法9条の交戦権の否定と武力の不保持を表している。この三戒を巡って繰り広げられる元老たち(国会議員)の議論や、デイブレイク(朝日新聞)の言説など、まるで現下の日本における安全保障議論や関連報道をそのまま表現しているのだ。

 寓話という形をとりながらも、この一冊は鋭く本質を突いている。それは、憲法9条(三戒)を唱えるだけで平和が維持できるのかという、現在の日本が置かれた状況への、真正面からの問いかけだ。憲法9条を唱えれば日本はずっと平和、話し合いでなんでも解決できるという空想的平和論は、とうの昔に宗教化しているのだが、子どものころから信じ込まされてきた平和憲法という宗教は、現実に向き合う免疫力を奪う。「カエルの楽園」は、現実逃避が何の解決にもならないことを、平易な文章で綴ることで誰にでも理解できるように問題提起しているのである。

 この一冊で覚醒できる大人も少なくないはずだが、ぜひとも若年層、特に子供たちに読んでもらいたい。以下は、作者の叫びだ。


カエルの楽園
百田尚樹著 カエルの楽園



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[ 2016/03/14 07:13 ] 本棚 | TB(0) | CM(10)

保守を標榜する前に読んでおくべき、良質な2冊

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 先週末に故郷に帰ったのだが、滞在中は飲んで喰って寝てという生活しかしなかった割に、往復の道中は中身が濃く、2冊の非常に良質な本を読んだ。

 ひとつは、「保守の原点――「保守」が日本を救う」。 宮崎正弘氏と小川榮太郎氏の対談本である。私は常々、自分を保守的とか保守派と言っているけれども、「我こそは保守だ」という表明はしない、ということを書いている。世の中には「我こそは保守」と標榜する人々が相当数いるようだが、そんな大それたことを宣言できるほど、自分は成熟していない。保守本流の思想がまだ自分の中で血肉化していないことを、自分なりに分かっているつもりだ。

 そういう中途半端さを自覚している自分にとって、、「保守の原点――「保守」が日本を救う」は決定打であった。この中には、保守たり得る者が携えているべきエッセンスが凝縮している。保守とは、思想や歴史観だけでなく、国語そのものであったり文学であったり、フランス革命や西洋思想との違いの上での日本であったりと、広範な知識の基礎の上に成り立つものだということである。私はまだまだ保守を標榜するまでに至っていないと再認識した。もっとも、こういう知的生産としての保守を求められると、ちょっと敷居が高いという気もしないではないが。

 もう一冊は、福田恒存の4つの講演を纏めた、「人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義」である。昭和三七年から昭和五五年かけて、福田が学生相手に行った講演を書き起こしたものだ。“講演を収録”といっても、本質的には哲学書である。これはもう、目から鱗の連続で、あっという間に読了。

福田恒存
福田恒存


 例えば、1月末に日本中を騒がせたISILの人質事件。福田は昭和五十年の講演で、実に本質的で明快な答えを提供している。ISの事件で何度も引き合いに出された、ダッカ事件への対応に関する言及である。

 今の世の中では人命尊重ということから、殺人が一番悪い犯罪になっていますが、私は人質犯罪は、殺人以上に凶悪な犯罪であると思うのです。つまり人の弱みにつけこんで、人質をとってお前がいうことを聞かなければこいつを殺すぞという、これくらい悪い犯罪はない。もしかれらの要求をいれて人質の命を助けるために、明らかに犯罪者として逮捕している人間を釈放するということになれば、国家、政府の権力がかれらよりも弱いということを立証することになるのです。これができればどんな犯罪でもできる。こうして日本の国家全体を否定するようなことを要求しても、人質を持ってさえいればできるのだという観念を人々に植えつけてしまう。これは実に大きな問題だと思うのです。五十人の命を助けるために、一億人の人間を危険に陥れる可能性を与える。そんな場合には、一億人に比べれば五十人なんかたかがしれているのだから殺してしまえばいい、というのが私の考え方です。


 福田は、講演で話すだけでなく、産経新聞に同じ趣旨の文章を寄せたそうだ。残念ながら、その当時の反応はわからないが、なかなか刺激的な解である。

 福田が拘り続けたのは、「歴史」「自然」「言葉」という3つのキーワード。書籍は4つの異なる講演を網羅しているのだが、これらのキーワードは、18年に渡る講演のなかで度々登場する。なかでも、「歴史」に対する考え方に関しては、保守の核心を見るような気がする。

 歴史は既に存在してしまったものです。われわれが、歴史に対してこういう風であってもらいたい、こういう風に直したいと思っても、もうとり返しがつかない。ところが、日本の歴史は既に存在しているということを、今の歴史家たちはどうやら忘れている。つまり歴史は親みたいなもので、私達は日本の歴史の子供なのであります。その子供の立場から過去の歴史を裁いていこうというものの考え方が既にまちがっている。歴史をして私達に仕えしめてはならない。私達が歴史に仕えなければならないのです。ところが、今の歴史学者はすべて歴史を私達に、すなわち現代に都合のいいように仕えさせるというようなことをやっているわけです。


 これは恐らく、歴史を戦前と戦後で分断するというGHQの狙いをそのまま受け入れ、戦後になってから戦前における悪をひたすら糾弾する歴史学者を批判したものだと思われる。福田はその「歴史の分断」を批判し、親と子に例えることによって、歴史の連続性を訴え、歴史なしに我々は存在し得ないということを言っている。

 我々の隣には、「子供の立場から過去の歴史を裁いていこうというものの考え方」をする国がふたつほどある。しかもそれらの国にとっての歴史とは「創作可能」なものであり、「現代に都合のいいように仕えさせる」ために、それを捏造しするのである。もちろん、我が国の中にも、そういう過去の歴史をこねくり回してイデオロギーを振りかざす輩が数多く存在する。その代表格が朝日新聞になるわけだが、イデオロギーに毒された彼等には、この珠玉の言葉はもはや響かないだろうと思われる。

 ネトウヨというのはとかく情報をネットだけに頼り、本を読まない、とよく聴く。別に上から目線でもの申すつもりは更々ないが、たまにはこういう、時代を経ても色褪せない言論に身を委ねてみるのも良いのではないだろうか。

保守の原点――「保守」が日本を救う
保守の原点
宮崎正弘 小川榮太郎

人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義
人間の生き方、ものの考え方
福田恒存


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[ 2015/03/04 07:18 ] 本棚 | TB(0) | CM(4)

幻の黄金時代 オンリーイエスタデイ'80s

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遅ればせながら、西村幸祐著、「幻の黄金時代 オンリーイエスタデイ'80s」を読んだ。
80年代というのは、日本が主として経済面で大躍進し、絶頂期にあったデケイドである。その最終形が80年代後半から90年にかけてのバブル景気である。
80年代、私は前半を学生として、後半を社会人として過ごした。
就職は景気が良かった割には苦労したが、その苦労は今の学生たちのそれとは比べものにはならない。危機感が極端に希薄だった私は、就職活動で大幅に出遅れ、大学4年の秋にようやく内定をもらったぐらい。しかし今の時代なら、確実に就職浪人である。

80年代というのは、極端に言えば何も考えずに生きていればいい時代だった。
カネは自分には転がり込んで来なかったものの、確実に天下をまわって、一般社会にはリストラ、経費節減などという概念すらなかった。
だから、なんとなく生きていればそれなりに楽しい、楽観的な時代だったのである。
バブルと言ったところで、まだ駆け出しの自分には直接的な恩恵はなく、ただひたすら仕事が忙しく、終電まで仕事をして疲れ切って帰宅し、翌朝また出勤する。週末はぐったりして家で休養する、という日々だった。
ただ、そんな日々を過ごしつつ、若気の至りを差し引いても、将来に関する不安はなかった。

ところが、そんなノンポリで何も考えていなかった自分のすぐ傍で、その後の日本を運命づけることがいくつも起こっていた。
西村氏は、その絶頂期である80年代に起きた様々な事象を検証し、今の日本経済、そして日本社会の歪みの元を探り出す。
大前提は、歴史の連続性である。
その時起きていた事象は、単なる一過性のものではなく、必ず将来に起こることへの因果関係の起点となり、必然的に影響を及ぼす。
その因果関係の起点となったものは、当時はほとんど大事とは認識されていなかった。
因果のもとであると意識、認識をしていなかったために、その場しのぎの対症療法を重ね、将来に渡る悪影響を長引かせるのである。
そんな事象がいくつも出てくるところが、この本の面白さだ。

著者が述べる端的な例は、反日の芽生えの件だ。
1982年の、マスメディアによる教科書検定書き換え誤報事件に端を発した問題が、「加害者としての日本」という立場を生み、支那、朝鮮の異常な反日エネルギーのもととなる。それが宮沢喜一の近隣諸国条項という特アへの譲歩に繋がる。
この宮沢談話は、特アの反日エネルギーを中曽根首相靖国神社公式参拝への非難へ向かわせ、同時に村山談話、河野談話への布石となったのである。
戦後レジームを最も見えやすい形で表現する事象である。
戦後レジームとの決別を宣言して誕生した安倍内閣は、約四半世紀も前に起きたこの教科書誤報事件から連なる悪魔の体制のど真ん中に身を投じたようなものだ。
1982年のひとつの事象が、2007年の米下院の「いわゆる従軍慰安婦問題で日本を批判する決議書」に繋がり、安倍政権を退陣に追いやり、いまの特アの強硬な対日姿勢の出発点となっていた。
言われてみれば当然のことと腹に落ちるのだが、こうも繋がってしまうことを、当時を生きたほとんどの人が看過してしまっていたのではないか。

80年代は、昭和天皇の崩御と、昭和の終わりという、劇的な幕切れを迎える。
実は私には、この昭和天皇の崩御にまつわるあまり思い出したくない思い出がある。
1989年1月7日に天皇が崩御、そして大喪の礼(天皇の葬儀)が、元号の変わった平成元年2月24日に決まった。
当然ながら喪に服す日であるから、その当日金曜日は休日となった。
ところが2月24日が休日に指定されてすぐ、勤務先の旅行会社の電話が騒々しく鳴り始めた。多くの国民が、天皇への弔意ではなく、休日を利用した海外旅行の予約という、我欲に走ったのだ。
当時私はノンポリで、どちらかというと中道左派的な思想をもった愚かな若者だったが、そんな私でもその現象は寂しく、少々腹立たしいものだった。
皇居に並ぶおびただしい弔問の列の裏で起こっていたこういう事象は、決して自分の記憶から消し去ることはできない。

1970年に江藤淳が、戦後民主主義を「ごっこの世界」と呼んで批判し、警鐘を鳴らして以降、その後の10年にさして学ばず、そのまた後の80年代を浮かれポンチで過ごしたのが一般的日本人であったのかもしれない。
本書は、言うならば直近の日本現代史における因果応報の解説書であるのかもしれない。
大東亜戦争に突入した直後、“天才”大川周明は、日本とアジアを取り巻く欧米帝国主義国の横暴を米英東亜侵略史に口述した。一級の歴史書である。大川の名著同様、本書は、今生きる日本人が、共有する昭和から平成という時代の流れを紐解く上で、格好のテキストとなるだろうと思う。
そして、今の世に生きる日本人が、将来に禍根を残さないために行動する上で、ヒントになる一冊であると思う。



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[ 2012/05/31 07:34 ] 本棚 | TB(0) | CM(2)

すべての親御さん必読の書「学校の先生が国を滅ぼす」

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学校の先生が国を滅ぼす遅ればせながら読んだが、この「学校の先生が国を滅ぼす」に書かれている内容たるや、身の毛がよだつほど恐ろしい。
我々は情報を、主にメディア報道を通じて入手するが、それにも増して説得力を持つのが、その現場にいる当事者の吐露、つまり告発である。
本書は、実際の教育現場において、国旗・国家を忌み嫌う教職員の実態を暴露する。
しかも彼ら教師の主張は利己的で矛盾に満ち、読んでいて辛くなるほどだ。
主張するのは自由だが、その主張を一方的に押し付ける酷く理不尽な言動は、公務員としての立場を超越する。
そこには、勤勉で親切な市井のなかに存在する公務員の姿の欠片も見当たらない。
公務員の給与は、税金で賄われている。
その税金を使い、国旗の意味もわからず、国歌も歌えない子供が量産される。
税金を納付する国民にとって、これほど矛盾したことがあるだろうか?

広島県立世羅高校の校長先生が、卒業式における国旗・国家の反対を受けて苦悩し、自殺されたのが平成11年2月のことだ。
このことを重く受け、その年の8月に国旗・国歌法が制定された。
この法律が成立するために、尊い命が引き換えになったと言っても良いかもしれない。

学校現場では、世間の常識ではありえないことが起こっており、その首謀者は日教組であり、全教である。
「子供たちの将来のために」という偽りの理念を謳い、その実、単なるサヨク圧力団体になっていることを、本書は明示している。
子供を持つ親御さんには、是非とも本書を参考にしていただきたい。
そして、子供たちがどのような教育を受けるべきかを考えていただきたい。

加えて言うと、日教組は民主党の有力な支持団体であり、本書は全教の裏に共産党が暗躍していることも示唆する。
「日教組はガン」と言った中山斉彬氏が受けたバッシングが正当なものであったのか、是非再考していただきたいものだ。


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[ 2010/04/17 00:04 ] 本棚 | TB(0) | CM(3)
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