私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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子供たちに反安倍を刷り込む小学館 ~ 「まんがで読む人物伝 安倍晋三」の酷さ

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 読売新聞が7、8日に実施した全国世論調査の結果を公表している。解散発表の日からメディアを騒がせている希望の党だが、「期待する」は36%で、「期待しない」の58%を下回ったそうだ。比例の投票先でも、自民党が32%と、衆院解散直後調査(9月28、29日)の34%から横這いだったのに対し、希望の党は19%から13%に数字を落とした。政党支持率は、自民党33%(前回32%)、希望の党8%(同9%)、立憲民主党が4%だった。話題ばかりが先行する希望の党だが、数字だけ取れば、民進党への支持率とそれほど変わっていない。

 さて、今朝、非常に醜いものをネットで見てしまった。小学館が発行する「小学8年生」という児童向けの学習雑誌があるのだが、そこに掲載されている漫画が酷いのだ。

小学8年生

小学8年生

小学8年生

小学8年生


 漫画の脚注には、ご丁寧に、「子どもたちが興味を持ち、楽しく読み進められるように、事実に基づいて、まんが的きゃく色を加えて構成しています。」と書かれている。

 小学8年生の「8」が意味するのは、「学年にとらわれない」という新らしい発想のもとでつけられたもので、対象は小学2~6年生だそうだ。この漫画を読んでいる子供たちは、引き下げられた選挙年齢もあり、あと10年もしないうちに投票行動を行う。子供たちには、事実を公平に伝えることが重要だが、このような偏った視点で描かれた漫画を掲載することが、成長に良い影響を与えるわけがない。これでは、対岸の半島の思想教育と何も変わらないではないか。

 小学館が、岩波のような腐ったサヨク出版社だとは思わない。だが、この漫画家が描いた偏向したプロパガンダ漫画を掲載する編集権、出版権は小学館が保持しているわけで、責任は小学館にある。作品を前ページ見たわけではないが、この4枚だけでも、同人誌以下の内容と判断せざるを得ない。



 この漫画を「安倍首相の爆笑・人物伝漫画」と紹介する小学館。低俗すぎて、言葉もない。


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[ 2017/10/09 09:52 ] 社会問題 | TB(0) | CM(13)

「ビンタはダメ」は大人の責任回避

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 ジャズトランペッターの日野皓正氏が、東京都世田谷区で開かれたコンサートで、ドラムを演奏していた男子中学生の髪をつかみ、顔に往復ビンタしたという件が話題になっている。既に実際の動画を観た方も多いと思うので、まだの方はYoutube等でご確認いただきたい。

 実際の顛末は、男子中学生が後半のソロパートで延々とドラムをたたき続け、日野氏がドラムスティックを取り上げたもても、男子中学生は手でドラムを叩き続けるというもの。日野氏は言葉で言い聞かせたが、男子中学生が止めないので、日野氏が中学生の髪の毛を掴み、顔にビンタという展開だ。SNSでも取り上げられ、「体罰だ」「暴力は許せない」などという批判が多く書き込まれた。

hinoterumasa.jpg


 メディアの報道の仕方が良い参考になる。これは、共同通信の配信記事だ。

往復ビンタ : 日野皓正さん「行き過ぎた」 空港で「謝る」 (毎日新聞)

 ジャズトランペット奏者の日野皓正さんが、ジャズコンサート中にドラムを演奏していた男子中学生の髪をつかんで往復ビンタをした問題で、日野さんが1日、羽田空港で取材に応じ「行き過ぎたことは分かる。それは謝る」と話した。

 日野さんによると、男子生徒とは1年前から付き合いがあり、ドラムの腕前を評価。「俺はおやじになる。何かあったら電話して来いよ」と声を掛けていた仲だった。

 コンサートは東京都世田谷区教育委員会主催の体験学習で8月20日に行われた。男子生徒はソロ演奏をやめず、スティックを取り上げても従わなかったため、手を上げた。その後、生徒が謝りに来たという。


 さて、共同通信の記事では、日野氏が全面的に非を認め、謝罪したように取れる。しかし、日野氏が語った言葉はこれで全部か。もちろん、そうではない。デイリースポーツがより詳細に伝えている。

 生徒は反省し、終演後は日野氏の楽屋まで謝罪に来たという。日野氏は「俺とあいつは、父親と息子なわけ。他の生徒には絶対に手を上げない」とした上で、「ヤツの心を立て直してやらなきゃという思いがある。だから、これからもやるよ。ビンタもね、アントニオ猪木の方が数段痛いと思うよ」と、愛情を持った教育の一環であることを強調した。

 さらに「音楽や集団行動っていうのは、和を考えないと。周囲をリスペクトしないと」と持論を展開。結果として、ビンタをしてしまったことについては「行き過ぎたところは分かる。それは謝る」としつつ、「でも、必要な時もあるんだよ。それだけのこと」と一貫して主張は変わらなかった。

 観客の前でビンタしたことで、騒動が大きくなった点には「お客さんの前だろうがどこだろうが、俺はバカヤローと言う。真剣だから。見てる人は分からないから、日野さんひどい、子供がかわいそう、と言うかもしれないけど」と受け流した。今後、生徒がまた同じことをした場合を問われると「手は上げないで、『やっぱりお前は無理だからやめよう』という。音楽は、ハーモニーで会話なんだ。会話ができないヤツは、どいてもらわないといけない」と回答した。

 また、集まった報道陣に対し「あんたたちがこういうことやって、日本の文化をダメにしてるんだよ。だから文化が低迷している」と苦言も展開。「あなたたちは俺をいじめてるけど、本当は彼(中学生)をいじめてるんだよ。俺はお前たちに何を言われようが、真剣に文化と生きてるわけだし、子供たちをどうにかして世界的にしようと思っていろんなことをしている。お前らが騒ぐほど、ヤツは忘れられずに何年も苦しむことになる。それをよく考えて」と語気を強めた。


 共同の記事を読んだ人の多くは、日野氏が全面的に降伏したという取り方をするだろう。巧みに切り取られた発言が、印象操作に使われる一つの例だ。降伏どころか、日野氏は「またやる」と言っている。加えて、メディア批判を展開している。共同ら、取材者の側も、都合が悪いコメントはスルーしたのだろう。かくして、印象操作が成立するわけだ。

 そもそも「暴力は絶対にダメ」なのか。世の中の子供がすべて、言って聞かせればすむ子供であれば、それでいい。たとえ面従腹背であろうとも、社会的に許されない言動を慎むようになればマシだ。しかし、世の中にはそんな子供ばかりではない。言ってわからなければ、痛みを与えて「お前がやっていることは悪いことだ」とわからせなければならない子供もいる。

 例えば、犯罪に手を染めようとしている子供がいるとしよう。言って聞かせ、それでも行動を止めない場合、力づくで止めさせることは、子供の将来に必要だろう。それは、指導する側の大人が担うべき責任ではないのか。私には、「ビンタはダメ」という人の多くが、子供の教育から逃げているようにさえ思える。

 「暴力は絶対ダメ」は、どこか憲法9条信仰に似ている。金正恩に言って聞かせれば、彼は核開発を止め、拉致被害者を返すのか。北の狂豚も、公正と信義ある者のひとりなのか。私は、戦争を肯定しているのではない。しかし、金の暴走を止めるためには、力を背景にした「ビンタ」的なものが必要なのだ。


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[ 2017/09/03 07:19 ] 社会問題 | TB(0) | CM(7)

追悼の要求とは、一種のタカリではないか

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 一昨日の25日、安倍総理は南鮮文在寅と電話会談を行ったが、我が国と南鮮の公式発表の内容が食い違っている。日本側は、文がいわゆる元徴用工の問題について、「歴史問題が両国の未来志向的な関係発展の足かせになるべきではない」「問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定によって解決されたという立場だと説明した」としている。一方、南鮮側では「両首脳は強制徴用被害者問題など歴史問題を適切に管理しつつ、未来志向的で成熟したパートナーシップ関係へと発展させていくことでも認識を共にした」(聯合ニュース)と報じている。

 恐らく、青瓦台が国内向けに話の筋を変えたのだと思われるが、こういう問題は棒読みで「解決済み」を繰り返していくしかない。南鮮司法が日本企業に賠償を求めた場合は、徹底的に批判し、南鮮のローカルルールには従わないことを力説していくしかない。

 こういう、降ってわいたような歴史の蒸し返しは、タカリ国家の常套手段である。慰安婦問題で付け入る隙が無いとみて、徴用工を歴史カードに昇格させたわけだが、日本側が仮に謝罪と賠償を受け入れ、その問題が終息したとしても、また第三の慰安婦問題、第三の徴用工問題が新たに提起されるだけである。お付き合いする暇もカネも、日本にはない。

 タカリは、なにも朝鮮半島固有の習慣ではないのも事実だ。反日サヨクも、この手段を頻繁に使う。さしずめ、こんなコラムも、同じ類いのタカリだろう。

(天声人語)関東大震災の教訓
関東大震災の混乱のさなか、ある銀行員が見聞きしたことである。広場で群衆が棒切れを振りかざしている。近づいてみると大勢の人たちが1人の男を殴っている。殺せ、と言いながら

▼「朝鮮人だ」「巡査に渡さずに殴り殺してしまえ」との声が、聞こえてくる。「此奴(こやつ)が爆弾を投げたり、毒薬を井戸に投じたりするのだなと思ふと、私もつい怒気が溢(あふ)れて来た」(染川藍泉〈らんせん〉著『震災日誌』)。朝鮮人が暴動を起こしたとの流言飛語が、飛び交っていた

▼人びとは武器を手に自警団を作って検問をした。「一五円五〇銭」と発音しにくい言葉を言わせ、日本人かどうか調べた例もあった。あまりに多くの朝鮮人が虐殺された

▼差別的な振る舞いや意識があったがゆえに、仕返しを恐れたか。官憲もデマを打ち消すどころか真に受け、火に油を注いだ。「当局として誠に面目なき次第」と警視庁幹部だった正力松太郎が後に述べている。不安心理が異常な行動をもたらす。忘れてはいけない教訓である

▼そう考えると、首をかしげざるをえない。朝鮮人犠牲者を悼む式典に、小池百合子東京都知事が追悼文を送らない方針だという。例年とは異なる判断である。都慰霊協会の追悼行事があるので、「個々の行事への対応はやめる」のが理由というが、見たくない過去に目をつぶることにつながらないか

小池百合子東京都知事


▼今からでも遅くない。方針を改め、追悼文をしたためてほしい。大震災から94年となる9月1日。風化を許してはいけない歴史がある。


 小池都知事が、関東大震災の混乱の中であったとされる、いわゆる朝鮮人虐殺事件を悼む式典に、東京都知事として追悼文を送らない判断をしたことに対し、左サイドから批判が噴出している。朝日は、その批判を拡散装置の役を担っているようで、半島勢力の特異なフレーズ「歴史を直視せよ」を、表現を変えて発している。

 ここで、関東大震災で朝鮮人虐殺があったかないかを述べるつもりもないし、それが主旨ではない。要するに、追悼という謝罪の受け入れが、この式典の主催者である日朝協会、ひいては元朝鮮人の利権になっていることを疑問視したいのだ。

 よく考えてみればわかるが、追悼というものは、要求するものではない。この都知事の判断を受け、日朝協会ら主催者からは「突然の方針転換は納得できない」と非難する声が上がっているそうだが、追悼がなければ「遺憾」を表明すればよいことであって、批判するというのは筋が違う。主催者側にとっては、追悼を受けることが暗黙の約束ごとになっているという認識なのだろうが、それが進んで、「都知事は必ず追悼をしなければならない」という定義を当てはめるのは、明らかに越権行為だろう。

 朴槿恵前南鮮大統領は、「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」という、通称「千年恨」を公言した。日本を永遠に加害者として定義し、加害者である日本は、南鮮に対して永遠に謝罪と賠償を行う義務があることを表した考え方だ。恨みを持つのは勝手だが、それを相手国に要求したり、相手国の義務として捉えるのは、発想としてはタカリ以外のなにものでもない。

 朝日新聞が、タカリの片棒を担ぐ「パシリ」のような存在に見えて来るのは私だけだろうか。


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[ 2017/08/28 07:09 ] 社会問題 | TB(0) | CM(13)

村本大輔は、平和ボケのメカニズムを知る恰好のサンプルだ

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 朝まで生テレビはもう観ないけれど、8月11日は終戦の日が近いということもあり、テーマとパネリストだけは確認した。パネリストのなかに漫才師がいて、「朝生も来るところまで来たか…」と感じた。その漫才師は、「ウーマンラッシュアワー」というコンビの片方の村本大輔という人物だ。「国民には国を守る義務があると思う」と発言した田原総一朗に対し、「絶対に戦争に行くことがない年寄りに言われてもピンともこない」と反論したことが話題になっている。

 で、当の村本なる人物、15日の終戦の日に、こんなツイートを発している。

 サヨクメディアのLITERAなど、村本のことを“最強反戦芸人”と持ち上げて大喜びする始末だ。勢いづく村本は、「国を守るってことは、こっちも攻めるってことですよね。そしたら向こうもやり返す」と、小学生レベルのオツムを披歴し、徴兵制に結びつけたうえで「徴兵っとか(ママ)、国を守るって言い方より国のために殺されるっていい方にしたほうが想像しやすいです」と綴っている。まるで、戦後日本の平和ボケの象徴のような人物である。

村本大輔


 自分が盗みを働かなければ、自分のものは永遠に盗まれることがないという発想だ。それがエスカレートし、「家に防犯装置を付けると強盗に狙われる」という発想に飛躍する。争いごとは、すべて自分に起因して発生するものであり、自分が敵意を持たなければ、他からの敵意を抱かれることはないということになる。

 言うまでもなく、「紛争は、その当事者同士が相手方に対して敵意を持つから起きる」という説明は不十分だ。紛争はどちらか一方の敵意や野心のみで起こることもあり、その場合、いくら品行方正に暮らしていようと、巻き込まれたら守り、そして戦うしかない。例えば拉致被害者の方々は、拉致される以前に、北朝鮮に対して殊更反感を抱いていたから狙われたわけではない。「戦争が起きても行きません」という発想は、日本が戦争を仕掛けるという、一面的で単純な発想から出てきた言葉ではあるが、「海の向こうから戦争がやってくる」という発想がないのだ。

 村本のことばは、戦後の平和ボケのメカニズムを如実に示している。戦後、GHQ統治のもと、日本国民は大東亜戦争のことを侵略戦争と定義し、日本は軍国主義によって悪い戦争をしたと教え込まれた。憲法9条による武装解除は、その禊だった。そして、反論は言論統制によって封じ込まれた。日本国民は、戦争という罪を自発的に受け入れるように刷り込まれ、自分たちが宥和的に他国に接し、争いごとは二度と起こさないと約束し、憲法9条はその約束の証として用いられた。在日米軍はその仕組みを支える最も重要なパーツだった。従って、その平和主義は自発的な戦争を否定するものではあるけれども、他から仕掛けられるものは想定外であり、いざその現実を知ると、感情的に「平和」と叫ぶだけで、まともに反論できないのだ。

 哲学者、田中美知太郎の至言である。

「平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない」


 村本大輔という人物は、戦後の平和ボケのメカニズムを知るうえで、恰好の見本である。


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[ 2017/08/19 07:22 ] 社会問題 | TB(0) | CM(29)

SEALDsのデモに加わり、シュプレヒコールを上げていた「前川助平」

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 8月2日、福島県文化センターというところで、前川助平の講演会「前川さん大いにかたる 加計・憲法・夜間中学などなど」が開かれたそうだ。主催は「前川さんの話をきく会」で、実行委員会の連絡先電話番号から探ると、仕掛け人は菅野家弘という人物らしい。毎日新聞の「みんなの広場」にも投稿の履歴がある。朝日新聞がこの講演会を取材し、記事にしているが、記事の内容は、いわゆる「いいとこ取り」だ。

 朝日の記事の中にはないが、前川助平は事務次官になる直前、SEALDsが実施した国会前デモに参加し、平和安全法制への反対を叫んでいたそうだ。サヨクメディアのIWJが記事にしている。

「この日を逃したら、もう機会はない」 安保法制に反対する国会前デモへ参加!

 前述した「面従腹背」に関連して、前川氏は、「実は2年前の9月18日、私は国会正門前にいた。SEALDsの若者たちの、安保法制に反対するラップのようなシュプレヒコールを感心しながら聞いていた」と明かした。そして、個人的な考え方だと断った上で、国会前に足を運んだ理由を以下のように語った。

 「国民が国を縛るという立憲主義の前提が、解釈改憲で踏みにじられてしまう。平和憲法の下、個別的自衛権と専守防衛なら認めてもいい、という国民のコンセンサスを、解釈改憲は崩すものでもある。よって、集団的自衛権を認めることは憲法違反である」

 9月18日の夜、1回きりだが、反対の声を上げに行ったのは、「もう、他に機会がないと考えたからだ」と前川氏は言う(安保関連法案は9月19日未明に成立)。皮肉にもこの日は、1931年に満州事変が起きた日と重なる。それは、日本が軍国主義へと突っ走っていくひとつの転換点であった。「そうした過去の過ちに対する痛切な反省の下に平和憲法が成り立っているのだから、それを土足で踏みにじる行為は問題だと思った」と付け加えた。(以上、抜粋)


前川喜平・前文部科学事務次官


 前川は、自分の過去のインタビューがいまだに放送されていないことを明かしたうえで、そのインタビュー未放送を暗に官邸の圧力と印象付け、「第四の権力といわれるマスコミまでが“一強”に支配されているとうことがあるとすれば、非常に危ないなと。政府がやっていることを国民に伝えるのがメディア。そのメディアが情報を伝えなくなり、政府はいいことばかりやっているというメディアばかりになったら、民主主義は機能しない」などとご高説をぶっている。もちろん、何の根拠もなく、ただの憶測に基づいた見解でいかない。

 果たして、日本のメディアは安倍政権の批判をすることにエネルギーのすべてを注いでいる現在、このご高説はアイロニーでしかない。メディアは、それとはまったく逆の面から機能不全に陥っているのだ。はからずも、「民主主義が機能しない」ということを、前川ははからずも反対側から証明してしまったのだ。

 それはそうと、高級官僚が出会い系バーに入り浸り、いまや「ビーチ前川」という呼称まで付けられることだけでも驚きなのに、SEALDsに混じって国会前で「安保法制要らない」とシュプレヒコールを上げていたとは、恐れ入る。国家公務員にも人権も思想・信条の自由はあるが、共産党の匂いがプンプンする団体のデモに参加し、雄叫びを上げるなど、この人物の末路はそのデモのときにすでに用意されていたようにも思える。


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[ 2017/08/13 07:24 ] 社会問題 | TB(0) | CM(9)
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