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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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高須氏相手に法的措置を示唆する“小者”、小西洋之の恫喝と国会私物化を批判する

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 永田町の問題児、小西洋之がまたまた暴走している。戦争による北方領土返還を元島民に質問した丸山穂高議員の発言に対し、高須院長こと高須克弥氏が「北方四島は日本領なんだから『奪回防衛実効支配』と表現すべきですね。自説は、国会で堂々と発言してください。日本は民主主義国家です。丸山議員は憲法が守ってくれます」とのコメントをツイートしたが、これに反応したのが小西だ。


 何をどう勘違いすれば、高須氏が戦争を容認しているという解釈になるのか、頭のメカニズムがさっぱりわからない。小西のアプローチは、高須氏の発言が問題だという前提を勝手に決め込み、高須氏の営業を妨害する恫喝だ。高須氏が小西の恫喝に対し、刑事告発を示唆すると、この東大出の頭でっかちは、子供のようなツイートで対抗措置を宣言した。


 毎度おなじみの「法的措置」である。小西は過去に、この「法的措置」という恫喝を一般のネットユーザーに執拗に繰り返し、そのユーザーをTwitterアカウントをクローズせざるを得ない状況にまで追い込んだことがあった。小西にとってこの「法的措置」というのはキラーワードなのかもしれないが、国会議員という立場で一般人までも恫喝するという小者ぶりは、いまはネットユーザーの嘲笑の的だ。

高須克弥氏


 そもそも、小西は国会議員という立場の意味を、根本的に理解していないと思われる。国会議員とは国民の投票によって選ばれた代理人であり、国民の想いを代弁し、国民のために働く立場の存在であるはずだ。その国会議員が、同じ議員という立場ではない一般人を相手に「法的措置」を示唆し、「国会でも取り上げる」などというのは低俗であるだけでなく、単に私怨を晴らす行為でしかない。まさに、国会の私物化である。国会が税金で運営されている以上、そんなことを議論されて迷惑を被るのは、国民の側なのだ。

 小西のやっていることは、国会の私物化、私怨晴らしだけではない。公人という立場で、私人の思想や発言を弾圧しようとしているのである。私人の思想までチェックし、国会議員の権限を使って異論を封じ込めようと恫喝するその所業は、まるで中共のレベルだ。小西自身は、自分のやっていることの恐ろしさには気づいていないようだが…。

 小西はこの夏までが任期だ。夏の参院千葉選挙区の動向に大注目だ。千葉県民の良識に期待したい。


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[ 2019/05/18 07:22 ] 社会問題 | TB(0) | CM(4)

小林よしのりの「権力と戦う人間の方が上質だ」という薄っぺらい佐藤浩市擁護を嗤う

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 佐藤浩市の「安倍総理揶揄インタビュー事案」についた火が一向に消えそうもない。映画「空母いぶき」の公開日に設定された舞台挨拶には、佐藤の名前がなかった。制作側が忖度したのか、佐藤自身が遠慮したのかはわからないが、漫画誌でインタビューを受けるほど映画の中心的存在を演じた佐藤の不在は、彼の「反体制ごっこ」の中途半端さを物語る。まぁ一応は、「えらいこと」になっているという自覚はあるのだろう。

 この事案、一般紙は全く取り上げず、報道の範囲はスポーツ紙、タブロイド紙に留まっている。論戦にいち早く参戦したラサール石井が、百田氏の「三流役者が、えらそうに!!」というツイートに噛みついたというので、石井のツイッターを見に行ったのだが、私のアカウントは彼にブロックされていた。はて、私はラサール石井に向けたツイートを発した記憶がないのだが、恐らく「ブロックすべきネトウヨ・リスト」的なものがパヨクに共有されていて、私もその中の一人だったのだろう。どうも“アチラ側”の人々は、多様性を重んじる割には寛容さに欠けるようだ。ウーマン村本に関しては、取り上げるだけ無駄だ。

空母いぶき ~ 佐藤浩市インタビュー


 俳優の黒沢年雄氏は、「今回の佐藤君の安倍総理に対すると思われる揶揄とも取られる発言は、まだ彼が若い部分があるという事で許してやって下さい」とブログに綴っている。ブログの最後には、「日本の為、国民の為に頑張って頂きありがとうございまーす」(ママ)という、佐藤が言う「体制側」に対する感謝のことばもある。だが、還暦を目の前にした立派な大人を「若い部分がある」と擁護することには、かなり無理があるようにも思える。

 青木理、テレ朝の玉川という、いつものお馴染みメンバーもこの問題で佐藤を擁護しているが、極めて内容に乏しいので今回は割愛。今回取り上げるのは、今や反安倍のイデオローグとなった感がある、小林よしのりだ。

佐藤浩市は男である

わしは佐藤浩市を「三流役者」とは思わない。 権力に対する批判精神を持っているのは立派なことだ。
権力に追従する人間と、権力と戦う人間なら、権力と戦う人間の方が上質だと思っている。
権力を揶揄する精神がバッシングされる国は、全体主義の国であり、独裁国家である。 ネトウヨは中国や北朝鮮が大好きなのだろう。
ナチス・ドイツが彼らの理想ではないか?(抜粋)


 あまりに薄っぺらい論説とも言えぬような書きっぷりだ。パヨクによくある、「とにかく“反安倍”という価値観のみで連帯する」というパターンとしか思えない。

 佐藤浩市の発言は、「権力と戦う」などという格好を付けた立ち位置すら意味しない。彼が批判さるのは、権力を揶揄したからではなく、ある特定の権力の側にいる人物の、「難病」という部分を揶揄したからである。権力に抗うなら、そのポイントを政治信条や政策面に絞るなら、その抗いは成り立つかもしれない。しかし、佐藤は、安倍総理の持病である、難病の潰瘍性大腸炎を取り上げ、総理を揶揄した。こんなもの、「権力と戦う」なんて大それたものではない。

 それを「上質」とする小林よしのりの判断力も、極めて品性に欠ける。パヨクやアベガー陣営は、もっとマシなイデオローグを探すべきだろう。

 ちなみに、この映画に出演した市原隼人氏が、舞台挨拶で、素晴らしいコメントを残した。

「日本人として日本で活躍する俳優として、この作品に巡り合えて心から誇りに思います。そして、大切なもののために命をかけることがいいことなのか、悪いことなのか、美しいことなのか、まだわかりません。ですが、自分の中に湧き出る大和魂や愛国心を掻き立てられました。とても貴重な作品となりました」


 前列に並ぶ佐藤浩市の、このコメントが語られる最中に見せる表情は、果たしてどう解釈すべきだろうか。ぜひ動画を参照していただきたい。


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[ 2019/05/15 07:07 ] 社会問題 | TB(0) | CM(11)

佐藤浩市の稚拙で安っぽいイデオロギー

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 ある時点まではその人が関与していた作品等を好意的に捉えていたとしても、その人の一言で幻滅を覚え、その後一切興味を持てなくなることがある。例えば、私はアニメを観ることは少ないけれど、宮崎駿作品は好意的に見ていた。だが、氏が沖縄のサヨク運動に加担するような発言を含めた思想を披歴したことで、彼の作品には、一切興味が持てなくなった。坂本龍一の音楽も、彼の思想や運動を知ってからは興味が持てない。自分の狭量さも原因なのだろうが、やはり著名人の発言には一般人のそれとは次元が異なる重さがあるのだろうと思う。

 私は佐藤浩市という俳優には、好意的な印象を持っていた。だが今後、彼に対する見方については、大きく方向転換することになるだろう。今月24日に全国公開される「空母いぶき」という映画作品で、佐藤浩市は首相を演じている。ストーリーは、中共の工作員に尖閣上陸を許し、日本がことなかれ外交で事態の収拾を図ったことで中共が味を占め、中共が日本侵攻を開始するというもの。先島諸島が奪われ、話し合いの意思が見られない中共に対し、内閣総理大臣が日本史上初の防衛出動を命ずるという筋書きだ。

 佐藤浩市はビックコミックのインタビューで、首相役についてこう語っている。

ー総理大臣役は初めてですね。

最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。
いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね。
でも監督やプロデューサーと「僕がやるんだったらこの垂水総理大臣をどういうふうにアレンジできるか」という話し合いをしながら引き受けました。
そしてこの映画での少し優柔不断な、どこかクジ運の悪さみたいなものを感じながらも最終的にはこの国の形を考える総理、自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理にしたいと思ったんです。


 佐藤は1960年生まれというから、私は同世代である。私はもちろん演技者ではないが、私たちの世代に「体制側の立場を演じることに対する抵抗感」なるものがあるとは思えない。彼を育てた芸能界、映画界にはそういう風潮があるのかもしれないが、一般論としては、我々の世代を代表して語ってもらうのは迷惑だということだ。

空母いぶき ~ 佐藤浩市インタビュー


 インタビューは続く。

ー総理は漢方ドリンクの入った水筒を持ち歩いていますね。

彼はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらったんです。
だからトイレのシーンでは個室から出てきます。


 「佐藤浩市、炎上」の最大の原因はこの部分の発言にある。彼は前段の発言で、首相のキャラクターをアレンジしたと公言している。私は原作を読んでいないが、これは彼が演じたい首相のキャラクターを、映画用に設定したということだろう。そして、こともあろうに、「ストレスに弱く、すぐにお腹を下す」首相像を持ち込んだ。様々な持病や病的な症状の中で、「お腹」を持ってきたところに、佐藤の悪意がある。もし彼が、これは安倍総理を揶揄しているわけではない言い訳するとすれば、あまりには白々しいと言わざるを得ない。

ーこの映画からどのようなものを受け取ってもらいたいですか。

僕はいつも言うんだけど、日本は常に「戦後」でなければいけないんです。
戦争を起こしたという間違いは取り返しがつかない、だけど戦後であることは絶対に守っていかなきゃいけない。
それに近いニュアンスのことを劇中でも言わせてもらっていますが、そういうことだと僕は思うんです。
専守防衛とは一体どういうものなのか、日本という島国が、これから先も明確な意思を提示しながらどうやって生きていかなきゃいけないのかを、
ひとりひとりに考えていただきたいなと思います。


 これほどまでに戦後民主主義への妄信ぶりを見せつけられると、呆れる以外のリアクションが取れない。日本を「戦後」という状態で、「戦後という価値観」を持ったまま保存したいようだが、日本が戦後でも国際社会は常に動いている。「戦後でありることを守っていく」ということは、そういった日本の安全保障にかかわる外敵要因のことを考えないことと等しい。そういう古くてカビの生えた、安っぽいイデオロギーを振り回すことで、佐藤は自分の出演作に対し、自ら営業妨害をかけているようなものだ。

 思想や信条を持つのは自由である。ただ、自分の配役を利用して、特定の政治家を揶揄するのは如何なものかと思う。佐藤自身は安倍総理を揶揄したものではないというかもしれないが、それを信じる人は少数派だろう。この映画を観に行こうと思っていたが、どうもシラけてその気が失せている。


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[ 2019/05/14 07:10 ] 社会問題 | TB(0) | CM(17)

ジョン・レノンの「イマジン」は世界を救わない

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 茂木健一郎といえば、SEALDsの連中に呼ばれて国会前に出向き、超絶ラッパーぶりを披露した脳科学者である。民進党の結党大会には、そのSEALDsとともに来賓として、「民進党は政権交代が可能な党になってほしい」と演説していた。当然ながら、政治思想的には左側に位置する人物である。

茂木健一郎


 その茂木が、「ネトウヨの方に質問したいこと」として約5年前に発したツイートが発掘され、ネットでちょっとした話題になっている。


 ジョン・レノンの「イマジン」なら、発売当時に小学生だった私もこの曲のシングルレコードを買って、家のステレオで聴いていた記憶がある。歌詞はこうだ。

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people living for today

想像してごらん 天国のない世界を
やってごらん 簡単なことさ
僕らの足元に地獄はなく
上にあるのは青空だけ
想像してごらん 今日という日のために生きているみんなを


Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people living life in peace

想像してごらん 国境のない世界を
難しいことじゃないさ
殺すことも死ぬ理由もない
宗教も存在しない
想像してごらん 平和の中で生きているみんなを


You may say I'm a dreamer,
but I'm not the only one
I hope some day you'll join us
And the world will be as one

君は言うかもしれない
僕をドリーマーだと でもそれは僕だけじゃない
いつか、君も仲間になってくれるといいな
そして世界は一つになって生きていくんだ


(以上、抜粋)


 まず、この歌詞に共感できるか否かを問うならまだわかるが、好きか嫌いかを問うこと自体がナンセンスであると思う。この当時のミュージジャンは、曲にメッセージ性を持たせることを好んでやっていた。「イマジン」が発売された年と同じ1971年に、マーヴィン・ゲイがヒットさせた「What's Going on?」という曲がある。その歌詞には、「War is not the answer, for only love can conquer hate.(戦争が答えではないよ。何故なら、愛こそが憎しみを克服するものだから)」という一節がある。ベトナム戦争が背景にあったのは明白だが、映画人も含め、作品によって世界を変えるという崇高な理想を、当時の芸能人、芸術家は持っていたのだ。その流れは、日本の同業種の人々にも、現在に至るまで多くの影響を残している。

 「イマジン」の歌詞は、理想論に基づくものだ。だからこそ、「想像してごらん」という歌詞なのである。その理想を掲げ、世に訴えることは決して悪いことではなく、むしろ、立ち止まって戦争というものを再考する機会を与えたとすれば、社会的意義はあったのかもしれない。だが、その曲や歌詞が世界を変えたのかと言えば、答えは否である。

 チベットやウイグルの人たちがこの「イマジン」を崇高な理念と信じても、中共による迫害には何ら抵抗力を発揮しない。英国のBriExitの発端は、英国に流入する移民の増加に端を発している。「イマジン」の歌詞にある「想像してごらん、国境がない世界を」とは裏腹の現実だ。尖閣沖でイマジンを大音量で流していれば、やがて島は奪われる。世界を動かしているのは、「イマジン」の理想論とは対極にある現実なのだ。

 茂木も参加する鳩山由紀夫主宰の東アジア共同体研究所では、こういう理想論を念仏のように唱えていれば、世界平和が訪れるとでも思っているのかもしれない。しかし、現実の平和維持活動において、そのような理想論は有害であるとさえいえる。平和な社会や国家間関係は、力の均衡によって維持されているのが現実であり、その現実から逃避するだけなら、文字通りの「お花畑」と評価する以外にないのだ。


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[ 2019/04/16 07:10 ] 社会問題 | TB(0) | CM(16)

国民にそっぽを向かれるマスメディアの「令和ネガキャン」

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 「令和」の発表から3日経っても、この新元号に関する話題は尽きない。間違いなく、改元は国民の関心事であるからだが、世論は概ね、この新元号を歓迎している。一方で、反日アベガーの連中は、どうやってイチャモンを付けようか腐心しているようだが、そのアプローチは、(1)総理が出しゃばり過ぎ、(2)「令」が命令を連想させる、(3)他の5案を炙り出して、本当に「令和」がよかったのか疑問、という3つに分類されるようだ。

 テレ朝のモーニングショーでは、東大教授、弁護士、ジャーナリスト(といっても、青木理という小者)と名物パヨク解説者の玉川が、束になってこの新元号を批判し、アンカーの羽鳥が「心が折れそう」とボヤいたそうだ。結局のところ、彼らは安倍総理の下でこの元号が発表されたことに対するネガキャンを張りたいだけで、新元号の寿ぎに泥水をかけるという、空気を読まない言動を繰り返しているのだ。安倍政権下での憲法改正はNGというのは野党の常套句だが、新元号を否定的に伝える人は、さしずめ、安倍政権下での改元はNGということになるのだろう。

 しかし、彼らの思惑は視聴者の心を動かさない。近日中に報道各社が世論調査を実施するだろうが、その先頭を切って、読売・NNNが元号に関する世論調査結果を発表している。

“「令和」に好感”6割を上回る 世論調査 (NNN)

新元号が「令和」と発表されたのを受けて、NNNと読売新聞が1日と2日に行った緊急世論調査で、「令和」に好感を持っていると答えた人は6割を上回った。

緊急世論調査で、新しい元号「令和」に好感を持っているか尋ねたところ、「非常に持っている」が33%、「多少は持っている」が29%で、合わせて「好感を持っている」人が6割を超えた。「なじみにくい感じを持っている」は31%だった。

また、「令和」が元号として初めて、日本の古典から引用されたことについては「評価する」が88%に達した。「評価しない」は5%だった。

世論調査 令和


一方、5月1日に元号が変わることで、日本の社会の雰囲気は変わると思うか尋ねたところ、「変わらない」が64%、「変わる」が31%だった。

新しい元号に変わる5月以降、普段の生活で、元号と西暦のどちらをできるだけ使いたいかについては、「どちらも同じくらい」が最も多く50%、「西暦」が24%、「元号」は22%だった。

元号の制度を今後も続けるかについては、「続ける方がよい」が82%、「廃止してもよい」は11%だった。


 まず、三択で「非常に好感」「多少は好感」「なじみにくい」という選択肢は適切だと思えない。「なじみにくい」は否定ではなく、「好感」と対立する選択肢ではないのだ。恐らくこの元号は、日を追うごとに国民の間に浸透していくはずで、この「なじみにくい」は徐々に減少していくと思われる。ちなみに、共同の調査では、「令和に好感」が73.7%を記録したという。

 重要なのは、次の二つだ。

世論調査 令和


 「令和」が元号として初めて、日本の古典から引用されたことについては「評価する」が9割に迫る数字を出し、「評価しない」は5%に過ぎなかった。この、日本民族の原点に新元号を求めるという安倍政権の試みは、国民の圧倒的な理解を得ているということだ。

 そしてもうひとつ。この改元に先立っては、年の途中に改元が行われることに関する批判もあり、和暦、西暦の混在に関しては、世界標準に倣って西暦を重んじよという声もあった。しかし、国民の考えはまるで逆である。

世論調査 令和


 普段の生活で元号と西暦どちらを使いたいかという問いに対し、「どちらも同じくらい」と「元号」を足すと7割を超える。元号を続けた方が良いという人は、全体の8割を超えた。当然の結果といえばそれまでだが、我々日本国民の生活と元号が、切っても切り離すことができない関係にあるということではないか。

 共同通信の世論調査では、安倍内閣の支持率が52.8%となり、3月の前回調査から9.5ポイントも上昇したそうだ。辻元清美など、「安倍総理がでしゃばりすぎ」と批判を展開しているが、これが負け犬の遠吠えにしか聞こえないのは、私だけではないだろう。


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[ 2019/04/04 07:09 ] 社会問題 | TB(0) | CM(8)
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