FC2ブログ

私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
私的憂国の書 TOP  >  社会問題

沖縄でまかり通る自衛隊ヘイト ~ パヨク活動家という真の差別主義者たち

← 応援クリック、ありがとうございます。

 今週末の沖縄県知事選は、台風の影響で大荒れになりそうな様相だ。一部地域では、投票日が昨日や今日に繰り上げられ、期日前投票が多くなることが予想される。猛追していると言われる佐喜眞候補としては、もう少し時間が欲しいところだろうが、天気には勝てない。最後の追い上げを期待したい。一方、二枚舌の嘘つきである玉城デニーには、この投票のために県外から住民票を移した活動家が少なくないと言われる。有田芳生大センセーのツイートにも、その例が出て来る。パヨクはいつもどこでも、手段を択ばない。

 首都圏でのパヨクの活動は、報道の量の割には中身が薄い。彼らは、集団的自衛権や特定秘密保護法、モリカケ等々への抗議のために官邸前に集まって活動しているが、安倍政権を攻撃するために材料を集めているだけで、目的が単純だから深みがない。「安倍政権を批判したいだけ」という底意がミエミエだから、興味をもって官邸前に集まった人々にも、彼らに利用されるだけという実態を見抜く力ぐらいはあるだろう。いま、パヨクの主戦場は官邸前ではなく、沖縄だ。

 宮古島は石垣島と並ぶ日本最南端の島だ。昨年1月、島への自衛隊配備が争点となった宮古市長選で、配備推進派の下地氏が市長に再任され、配備が事実上決定された。その宮古から、非常に由々しき人権侵害が報告されている。

 航空自衛隊宮古島分屯基地内で、自衛隊員と一般女性のお見合いパーティーが実施された。これに精髄反射したのが、パヨクの活動家連中だ。市民団体と称する活動家連中が、「税金で管理されている基地内で、極めて個人的な行為である「お見合い」をすることは問題」と声を上げ、「人生の選択を国の組織が関与・管理することはおかしいし、軍事要塞化への反対の声をかき消していく意図も感じる」と主張している。下の画像は、「『自衛隊基地内でお見合いパーティー』を考える市民たち」という団体が作成したチラシだ。

宮古自衛隊お見合いパーティーへの抗議チラシ
クリックで拡大


 チラシそのものがヘイトに満ちている。お節介なことに、隊員や女性に対し、「あなた方の人生が、個人の選択が、組織の道具として利用されていませんか?」と問うている。そして、もっとも酷いヘイトが、パーティーの目的に言及した部分だ。

  1. 個人的な自由な意思で決定されるべき人生の選択を国の組織が関与・管理することはおかしい
  2. 女性の「性」を、隊員を統制・管理するための道具として利用していないか?
  3. お見合い→結婚=所帯を持たせて性的事件を未然に防ぐ、という戦前の「慰安所制度」=「性の防波堤」という考え方と同質ではないか?
  4. 地域住民との結婚→地域への同化を図ることで、軍事要塞化への反対意見をかき消していくこと等の意図があるのではないか?

 まったく、どう解釈したらこんな曲がった見方をできるのだろう…と、呆れて口が塞がらない。これらの文章は、自衛隊員だけでなく、集った女性に対しても失礼極まりないものだ。婚活やお見合いパーティーが戦前の「慰安所制度」=「性の防波堤」を踏襲するものなら、全国で開かれるすべての婚活、お見合いパーティーが否定されなければならない。だが、分屯基地に集まった女性たちは、当然ながら自由意思でこのパーティーに参加している。他人の自由を束縛する、少なくとも抑制しようとする意味で、この市民団体の活動は、他人の自由に対して過度に踏み込み過ぎた暴走である。
 
※詳しい内容は、このブログ(抗議側)に記載されている。全く噴飯ものだ。

 戦後サヨクの古き伝統である、自衛隊差別だ。活動家の連中は「沖縄差別を許すな」などと声を張り上げるが、実はこのお見合いパーティー妨害活動自体が、彼ら自身が差別主義者であるという自白である。彼らは理性的に考えることは不可能だ。何故なら、基地反対運動や自衛隊差別は、彼らの宗教だからである。

 もちろん、すての沖縄県民がそうとは言わないが、こういうヘイトがまかり通り、地元の左系新聞が、活動がさも真っ当な抗議であるかのように報ずるのが沖縄だ。こういう土地で玉城県知事など誕生したら、沖縄は孤立してしまうだろう。県民におかれては、賢明な選択をしていただきたい。このような活動を「沖縄の恥」と思わなかったら、それこそ深刻である。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログはブログランキングに参加しています。ご面倒ですが、是非ともバナークリックをお願いいたします。
にほんブログ村 政治ブログへ
バナーが表示されない場合はこちらから。
人気ブログランキング | にほんブログ村 政治ブログ | FC2 ブログランキング

[ 2018/09/28 07:08 ] 社会問題 | TB(0) | CM(11)

言語空間から逃げた新潮社 ~ 「新潮45休刊」にみるパヨクの力を侮るな

← 応援クリック、ありがとうございます。

 杉田水脈議員の論文(8月号)と、その続編と位置付けられる特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」で炎上騒動となった新潮45について、新潮社が同論壇誌の休刊を発表した。

 休刊に至った一連の騒動には、ふたつの要素がある。ひとつは、杉田論文が差別と批判され、また、そのフォローアップ特集を掲載した10月号が輪をかけて炎上したこと。もうひとつは、同誌の編集方針に関して新潮社社内に内紛があり、企業として発行する体制を見直す判断が下されたのだと思われる。いずれにせよ、この新潮社の幕引きは、安直のそしりを免れないと思う。

 この炎上は、もとはといえば杉田論文に対する曲解から始まっている。何度も書くが、論文「『LGBT』支援の度が過ぎる」のなかで杉田氏が語った「生産性」は、差別を意図するものではない。「生産性」ということばが誤解されているが、杉田氏は、少子化が進む我が国では、子供を産む家庭により手厚い支援をすべきという「税金の使い方」を示したのであって、性的少数者を差別したのではない。この論文の「生産性」という言葉のみが切り取られ、杉田氏は差別主義者に仕立てあげらることになる。

新潮45 2018年10月号


 小川榮太郎氏の「痴漢」の比喩も過激ではあるが、比喩に食いつき、批判し、本筋で勝負しないのは、言論の勝負とは言わない。「痴漢の権利も保障せよ」という表現にも賛否はあろうが、批判する側の主張をネットで詳しく読んでみても、まともな反論は意外と少ない。杉田批判で勢いづいた“あっち側”の人々が、嵩にかかって杉田、小川両氏を罵倒している感がある。日頃「話し合いを」と主張している人々が、「この問題に関しては話し合う余地はない」と、勝手に宣言しているようにも映る。

 痴漢云々が小川氏の主張の根幹ではない。私も一昨日のエントリーのあと、知り合いから雑誌を画像で送ってもらい、苦労して文章をを読んでみたが、後のFacebook等への投稿とあわせ、氏が意図したのは、西洋から来る概念を安易に受け入れることが、数十年後、百年後の日本社会に良からぬ事態を及ぼす可能性があるのではないか、という問題提起だろうと思う。杉田氏への批判は、杉田氏の少子化対策について全く触れておらず、小川氏への批判も上記も問題提起に真正面から反論していない。こういうのを言葉狩りというのではないか。

 新潮社は出版業界では大手中の大手だ。その大手が、パヨクからの批判を真っ向から受け、騒動から間髪置かずといったタイミングで休刊を発表した。批判されたなら、批判を検証する特集でも組んで、11月号か特集号でも出せば、まだ救われた。だが、新潮社は休刊という手法で、批判をかわそうとしているように思われる。新潮社には、批判本を書いた文藝評論家を法廷闘争に引きずり込んだ朝日新聞の手法を批判する資格もないかもしれない。
 
 根拠や論理に乏しくとも、パヨクの力ずくの抵抗にはまだまだ力があるのだ。保守派も心して対峙すべきだろう。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログはブログランキングに参加しています。ご面倒ですが、是非ともバナークリックをお願いいたします。
にほんブログ村 政治ブログへ
バナーが表示されない場合はこちらから。
人気ブログランキング | にほんブログ村 政治ブログ | FC2 ブログランキング

[ 2018/09/26 07:10 ] 社会問題 | TB(0) | CM(21)

新潮45“炎上”問題 ~ レトリックを真正面から批判する愚

← 応援クリック、ありがとうございます。

 「新潮45」が炎上している。もともと、杉田水脈議員の「LGBT支援の度が過ぎる」という論文が物議を醸し、論文が大批判されるとともに、批判は杉田議員の人格攻撃にまで及んだ事案があった。新潮45の10月号では、「そんなにおかしいか「杉田水脈」論文」という特集を組み、7人の識者が見解を寄稿した。そのうち、杉田論文に輪をかけて批判が集中しているのが、小川榮太郎氏による「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」と題した論文だ。

 この事案をさらに拡大したのが、新潮社文芸書編集部の公式ツイッターアカウントで、論文を批判する一連のつぶやきをリツートしまくるという「身内批判」を展開した。このアカウントでは、新潮社創立者の佐藤義亮の発言であり社是である「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」をツイッタータイムラインの先頭に固定するという意思の示し方をし、騒動が大きくなりつつあるのを問題視したかのように、新潮社の社長が公式サイトで、謝罪ととれる見解を発表した。

 弊社は出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました。
 しかし、今回の「新潮45」の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」のある部分に関しては、それらを鑑みても、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。
 差別やマイノリティの問題は文学でも大きなテーマです。文芸出版社である新潮社122年の歴史はそれらとともに育まれてきたといっても過言ではありません。
 弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です。

 株式会社 新潮社
 代表取締役社長
 佐藤隆信


新潮45 2018年10月号


 断っておくが、私はこの論文を読んでいない。恐らく、批判する側の多くも、この論文を読まぬまま批判していると思われる。読んでいないものを論ずるのは邪道だが、ネットで様々な記事や批判を含む見解を調べた上で書いてみようと思う。

 新潮社社長の「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」は、7つの論文のどの部分か、誰の文章かを特定していない。「差別的な表現には十分に配慮する」と言っているから、その文章が差別的であるということになる。恐らく、小川氏の論文中のこの部分だろうと思われる。

 LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものなのだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。SMAGとは何か。サドとマゾとお尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである。
 満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深ろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。
 彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく。


 当然ながら、これらの表現は揶揄を含めた比喩であり、小川氏が正面切って「痴漢症候群の男たちに権利を!」と主張しているわけではないことは容易に理解できる。小川氏本人も、「あまりにも一方的な杉田さんへバッシングへの防戦として、きついレトリックを使った」と、AmebaTVの番組で語っている。

 論文は、「LGBTと痴漢とを同一視するな」という批判を呼んだようだ。確かに、痴漢は犯罪であり、社会悪である。もちろん、痴漢行為に及べば刑法で裁かれることになる。小川氏がその前提を踏まずに書いているわけはない。しかし、かたや、同成婚を含む性的少数者が権利を主張すれば、それは現行憲法24条が定める「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」に抵触するわけだ。民法では、「男は」「女は」という表現が使われ、「夫婦」という男女の関係をもとに書かれている。憲法や民法が否認する同成婚その他の権利が許されるなら、刑法を曲げても…という論理を小川氏が主張しているわけではない。これは、小川氏が使ったレトリックとして解釈すべきで、真正面から批判するには当たらないのではないか。

 過激な揶揄を青筋立てて批判するなら、性的少数者の権利は憲法や民法の改正を主張すべきである。もし、集団的自衛権行使が憲法の邪な解釈というなら、性的少数者の権利主張も同質であることを、理解すべきだろう。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログはブログランキングに参加しています。ご面倒ですが、是非ともバナークリックをお願いいたします。
にほんブログ村 政治ブログへ
バナーが表示されない場合はこちらから。
人気ブログランキング | にほんブログ村 政治ブログ | FC2 ブログランキング

[ 2018/09/24 10:52 ] 社会問題 | TB(0) | CM(10)

反ヘイトスピーチ・多様性重視のパヨクが、井上咲楽さんに浴びせる罵詈雑言

← 応援クリック、ありがとうございます。

 通常国会も終わり、国会でのモリカケが一段落した今日この頃、あの前川助平は何をやっているのだろうと検索してみた。そうすると、なんとも香ばしい活動に勤しんでいる。前川は、革マル派が巣くう、あのJR東日本労組に招かれ、講演をしているようだ。テーマは「憲法と教育」で、相変わらず加計学園や道徳教育などを題材に、現政権に批判的な物言いをしているようだ。こともあろうに、この間まで文科行政の高級官僚だった者が、反社会勢力が隠れ蓑にする団体の集会で講演するというのは、この人物に常識や良識を要求するのは無理であることの証左であろう。

前川喜平(助平)
前川助平(JR東労組のサイトより)


 さて、核、革マル派といえば条件反射で頭に浮かぶのは枝野幸男だが、この枝野をテレビで批判した女性タレントの方が、ネットでバッシングを浴びているようだ。井上咲楽さんという方で、18歳ながら国会などに足を運んで、自分の目と耳で政治を観察しているそうだ。その井上さんが、通常国会の最終日、なにかと話題の枝野フィリバスターに遭遇した時の感想を、こう述べている。

あのー、この間、国会最終日だったんですけど、それを見に行ってきたんですよ。
そして、凄い、最終日だから楽しみに行ったんですけど、枝野さんの演説凄い長かったんですよ。
2時間43分の演説だったんですけど、もー最後まで聞いてらんなくて、途中でちょっと飽きちゃって出ちゃったんですけど、

枝野さんの、去年の衆議院選の時の枝野さん、凄いカッコ良く見えたんですよ。
でもなんか今の枝野さんは、その、2時間45分政権批判して、で、それで本出したりしてて、なんかちょっと残念な気もしちゃいますね。


 この発言を受けた、パヨクの反応が凄まじい。「頭悪い」「ブサイク」という罵詈雑言から、「日本会議からいくらもらった?」「狂暴な脳の機能の悪い生き物」など、言いたい放題の様相だ。

 確か、ヘイトスピーチを社会問題として取り上げた上で言論封殺に動いたのは彼らパヨクだ。また、多様性を重視し、杉田水脈議員の論文にやたら騒いだのも彼らパヨクである。しかし、ヘイトスピーチとか多様性というのは、自分たちだけが甘受するもので、政治や価値観において対極に位置する人たちには、そんなものは適用しなくてよいと思っていらしい。

井上咲楽
井上咲楽さん


 井上さんは18歳というから、立派な有権者である。選挙権に18歳も90歳もなく、それが法の下での平等というものだ。従って、井上さんには政治に参画する資格があり、その資格を以て発言することは、何ら問題ではない。もちろん、その分、発言には相応の責任が伴うが、私は彼女の発言がそれほどのバッシングを浴びる性質のものとは思えず、むしろ賛同する方に位置する。

 無論、保守側から言えば、支持する政権に無理筋な、根拠のない批判をするタレントや、ただの安倍嫌いなタレントやジャーナリストを批判する。私はブログを書く上で、批判に関する論理付けや根拠を示すようにしているが、ネトウヨと呼ばれる人たちにも、パヨクと同様に、感情丸出しの罵詈雑言を垂れ流す人は存在する。(私もネトウヨと呼ばれているようだが…笑)

 ことばを選ぶ必要性は、左右両派に共通して言えることかもしれない。ただ、反ヘイトスピーチだの多様性だのという論点は、あくまでパヨク側からとして提示され、要求されたものであり、それを自らが破壊するような言論を展開する彼らパヨクは無責任だ。彼らは安倍政権を支持する層を「アベ信者」と批判するが、彼らも立派な「エダノ信者」ではないのか。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログはブログランキングに参加しています。ご面倒ですが、是非ともバナークリックをお願いいたします。
にほんブログ村 政治ブログへ
バナーが表示されない場合はこちらから。
人気ブログランキング | にほんブログ村 政治ブログ | FC2 ブログランキング

[ 2018/08/24 07:08 ] 社会問題 | TB(0) | CM(11)

杉田論文 ~ 「区別」を「差別」と言い換えて批判する邪道

← 応援クリック、ありがとうございます。

 27日金曜日、自民党本部前には主催者発表で五千人の人が集まり、新潮45に「「LGBT」支援の度が過ぎる」という論文を寄稿した杉田水脈議員の自認を求めるデモが行われた。デモ隊がアジ演説を行う後方には、「九条を守る 平和日本」というノボリも見える。すべてとは言わないまでも、デモ隊を構成する人の一定の割合は、官邸前のお馴染みのメンツということだ。

7月28日 自民党本部前デモ


 ハフィントンポストは、このデモを「発端は個人によるTwitterでの呼びかけ」とし、「#0727杉田水脈の議員辞職を求める自民党本部前抗議」というハッシュタグを作った平野太一と伝えた。平野の呼びかけによって一般市民が立ち上がり、自民党本部前のデモに発展したと、「市民の草の根デモ」という建てつけだ。ところがこの平野には「しばき隊」という属性があり、平和安全法制や反原発、新大久保での在日擁護等々のデモではお馴染みの活動家だ。まさに常連であり、個人の呼びかけで自然発生的に…という記述はミスリードも甚だしい。

 LGBTを差別するなという主張を展開するのは自由だが、その活動に群がる面々もいつもの通り。ハフポスト以外にも、朝日新聞は「杉田氏「生産性」発言に広がる批判 自民党本部前で抗議」という長文の記事を掲載し、福島瑞穂はデモに顔を出した。共産党や立民、民民の連中もコバンザメの如く一斉に杉田批判を叫び、世論を反自民に誘導しようとしている。

 昨日は、新潮社に叱られるのを覚悟で杉田氏の論文を全文掲載した。そして、昨日のエントリーにも様々なコメントをいただいた。私はスパムや誹謗中傷と思しきコメント以外は掲載に制限をかけていないが、もう少し反対側からの意見が来るかと思ったものの、そういうコメントはなかった。サヨク界隈の馴れ合いに埋没しているのか知らないが、残念なことだ。

 論文をすべて読んだ方には、ある程度の共通理解が生まれると思う。それは、杉田氏の論旨の根幹は、LGBTのうちのT(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害だが、LGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル)は個人の性的嗜好であり、そのふたつは区別して考えるべきだということだ。サヨクの常套手段として、「区別」を「差別」と言い換えて批判する手法があるが、批判にはまさしくこの手法が使用されていると考える。何故「区別」が必要になるかというと、国会議員として、そこに公金を投入することの是非を論ずる必要があるからだ。

 デモ隊は「人権を無視する議員はいらない」と連呼していた。しかし、杉田議員の論文を読む限り、人権を無視する内容は読み取れない。人権無視とは、この場合、LGBの人たちが活きる自由や権利を奪うことを言うはずだが、論文にはそんなことは書いていない。唯一、「生産性」という表現を用いたことは、「産む機械」発言で揚げ足を取られ、失脚した柳澤元厚労大臣を連想させるもので、野党、活動家や左派メディアには撒き餌になってしまった感がある。しかし、この生産性ということばでさえも、LGBの人たちの人権を無視したものではない。人権無視というのは、ことばの切り取りによって、反対勢力が拡大解釈し、プロパガンダ化したものではないのか。

 デモ隊は、杉田議員の辞職を求めている。だが、論文は、LGBの人たちの人権を侵したわけでもなく、政策論である。例えば、朝鮮学校に公金を投入する政策にも賛否がある。外国人に参政権を与える是非についてもそうだ。いずれも、時に区別が差別と言い換えられるケースものだ。しかし、それらも政策論とすれば、賛成側も反対側も相手方の辞職を求めない。私には、このケースもそれらと同じだと思える。従って、辞職する必要はない。

 どなたか、この論文のどこが人権無視なのか、どこが差別なのかを、分かり易く教えていただきたい。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
当ブログはブログランキングに参加しています。ご面倒ですが、是非ともバナークリックをお願いいたします。
にほんブログ村 政治ブログへ
バナーが表示されない場合はこちらから。
人気ブログランキング | にほんブログ村 政治ブログ | FC2 ブログランキング

[ 2018/07/30 07:09 ] 社会問題 | TB(0) | CM(11)
カレンダー
09 | 2018/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
Banners
人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ



憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会
twitter
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: