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私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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「記者は国民の代表?」に否定的な答えが約8割

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 望月衣塑子原作の「新聞記者」が映画化され、6月に公開されるそうだ。興味本位でトレーラーを見てみたのだが、冒頭に田原総一朗のお墨付きコメントが出てきて、「国家権力による隠蔽が云々」という、ありふれた筋書きが出て来る。望月による書籍だから、内容は恐らくナルシズムに満ちたものになるのだろうが、読んでもいないので評価はしない。参考までに、Amazonの原作のページには、こういう文章で書籍が紹介されている。

官房長官会見に彗星のごとく現れ、次々と質問を繰り出す著者。脚光を浴び、声援を受ける一方で、心ないバッシングや脅迫、圧力を一身に受けてきた。演劇に夢中だった幼少期、矜持ある先輩記者の教え、スクープの連発、そして母との突然の別れ…。歩みをひもときながら、劇的に変わった日々、そして記者としての思いを明かす。


 私のブログにも「出版してみませんか?」とのご案内をいただく時代だから、選ばれたものしか世に出なかった時代と違い、いまや書籍の出版は自由である。まぁ、望月の場合は角川というスポンサーがついていることから、出版社として書籍がある程度の社会性があると踏んだのだろう。

 さて、その望月の持論は「記者は国民の代表である」というものだ。菅官房長官が「記者が国民の代表とする根拠を示せ」と問うたら、東京新聞は「憲法21条に基づく国民の知る権利の負託を受けてる」と回答した。確かに、ジャーナリストが国民の代理人として取材を行い、それを記事にすることで「国民の知る権利の一部」を補完している事実はあるだろう。しかし、それは全権委任ではないと同時に、彼らが営利を目的とした民間企業の一員である以上、負託とは言えない。

 株式会社NEWSYが運営する「しらべぇ」というサイトが、このことについて調査を行い、その結果を記事で配信している。

■「記者は国民の代表」だと思う?
しらべぇ編集部では全国の10代~60代の男女1,755名に「新聞記者は国民の代表だと思うか」調査を実施。

記者は国民の代表か


結果「そう思う」と答えた人は4.0%。「理解はできる」は17.6%で、肯定的な考えを持つ人は21.7%と低い割合に。一方「違和感がある」は41.9%、「おかしいと思う」が36.5%で、否定的な人はじつに78.3%となった。やはり大多数の日本国民は、新聞記者が代表だとは思っていないのだ。


 NEWSYという会社は博報堂の社内ベンチャーということ以外、素性は良く分からない。調査と言ってもアンケートっぽいものとも取れ、これが国民の大多数の意見を代弁しているという前提は少々危険であるかもしれない。

 しかし、「記者は国民の代表だと思う?」という質問に対し、「違和感がある」「おかしいと思う」というネガティブな回答が、全体の8割近くを占めるという事実は看過できるものではないだろう。

 情報の流通が、記者から一般市民へという一方通行の時代では、答えは異なるものだっただろう。しかし、多くの国民は、既存メディア以外の情報ソースで、メディアが報じない情報を入手するすることが容易になった。彼らメディアが、知る権利の一部を満たす存在であるという認識は依然としてあるが、国民が知るべき情報を知らせないという逆の立場であることも、同時に露呈してきている。メディアによっては、ある一定の方向に読者を誘導する「プロパガンダ記事」が多いことも知れ渡りつつある。

 そういう状況下においてメディアや記者がすべきことは、「国民に選ばれるメディア」を目指すことであって、「国民の負託を受けた代表」を標榜する前に、為すべきことがあるのだ。そして、もしそれを為し、晴れて「選ばれるメディア」になったとしても、彼らは国民を代表する存在ではなく、単に読者の多い新聞社、そしてそこに所属する記者以上のものにはなり得ないのだ。


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[ 2019/05/20 07:10 ] メディア | TB(0) | CM(10)

大津市事故に見る、マスコミによる「第四の権力の乱用」

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 芸人で、立憲民主党参院選公認候補であるおしどりマコという人物のツイートが話題になっている。


 このツイッターアカウントはスタッフが管理しているようで、恐らくおしどりマコなる人物の講演内容をスタッフがライブ感覚でツイートしたものだと思われる。愚かな市民とはかなりの上から目線で、「何を、偉そうに」と条件反射してしまいそうになるが、この人物が言っていることは、あながち間違いとは言えない。有権者には、2009年の夏から始まった、悪夢のような3年3か月の記憶がある。あの夏、民主党政権を選択した有権者は、まさしく「愚か」そのものだった。しかし、その愚かな有権者にも、学習能力はあるのだ。立憲民主党をはじめとする旧民主党の流れを汲んだ野党の低支持率が、何よりの証拠だ。

 安倍政権とて完璧な内閣ではなく、移民の大量流入を促しかねない入管法改正や、南鮮に対する毅然とは言えない外交態度など、ツッコミどころは多々ある。しかし、安定している支持率が示す通り、過去の内閣に比べれば遥かにベターであり、民主党政権を経験した国民にとっては救いともいえる。そもそも、おしどりマコなる人物に「愚かな市民」呼ばわりされる謂れはない。

 国民は選挙というシステムを使って、政治家を選択することができる。しかし、国民が選択できない権力がある。マスコミだ。彼らは第四の権力とも呼ばれるが、国民が選択した代理人ではない。いま、そのマスコミの暴走が猛烈に批判されている。滋賀県大津市で起こった、散歩中の保育園児らに突っ込んだ乗用車が、2歳の園児2人を死亡させた事故で、保育園側が記者会見を開いた。その会見で、どう考えても勘違いとしか思えない質問が、園長らに投げかけられたのだ。

「園としては、今日の事故、車の動きなどどのように把握しているのでしょうか。」
「車の動きなど、どのように認識されているのでしょうか。」
「今日の事故の反省について、どのような状況を認識されているのでしょうか。」
「普段の交通量の状態ですとか、交差点の、昔から事故があったという状態のなかで、そこのところ、どのように認識されているのでしょうか」
「普段から少しは危ない箇所という認識だったのでしょうか。」

保育園の記者会見


 記者会見で、記者から園長・保育園側に向け、このような残酷な質問が飛び交った。あたかも、保育園側に過失があったかのような聞き方だが、誰がどう見ても保育園側は被害者である。この会見に嫌悪感を覚えた人々が、SNS等を通じてマスコミ批判を声高に主張している。その主張はうなずけるものが多い。国民、視聴者らは、被害者が泣き崩れる映像を観たいわけではない。ネタが刺激的であればあるほど、マスコミは食いつくが、この会見には放送倫理などというものは欠片もなかったと言わざるを得ない。

 マスコミの「不必要な正義感」が、こういう残酷な質問をさせるのかもしれない。だが、それらは彼らマスコミの勘違いであり、「第四の権力の乱用」と言うべきものだろう。

 2人の園児のご冥福をお祈りします。


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[ 2019/05/10 07:07 ] メディア | TB(0) | CM(4)

姜尚中の皇室論は「民意によってどうにでもできる」論である

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 反日パヨ系の有害番組と言えばまず「報ステ」を思い浮かべる人が多いだろうが、どうしてどうして、サンデーモーニングはその上を行っていると思っている。サンモニに関して言えば、歯止めが全く効かないというより、それを効かせる意思がはじめから全くないため、番組全体が反日パヨク色に染められている。印象操作を得意とする番組としての報ステも相当悪質だが、サンモニはパヨクの井戸端会議をそのまま電波に乗せていることが醜悪だ。

 時節柄、日曜日のサンモニでも上皇陛下のご譲位と新天皇即位を詳しく伝えたが、その内容たるや偏向の度合いが激しく、聞くに堪えないものだった。

 下記は、そのサンモニで、姜尚中が上皇陛下のご譲位について語った一説である。

象徴天皇っていうのは人間天皇とイコールで、象徴天皇制というのは長い歴史の中で考えると70年くらいの歴史しかわけなんですね。ということは完成形態はないわけで、従ってこれは常に途上にあって未完である、と。

しかし自分はこういう模範を出したいという形で平成時代の天皇がビデオメッセージで国民に問いかけた、と。これは生前退位ということですけど、これはある憲法学者のことばを使うと「脱出の権利を行使した」と。つまり天皇であることを私はやめますという脱出の自由がなければ、やはりそれは本来おかしいんじゃないか、というのがこの憲法学者の考え方なんですけれども。その自由を行使されたということは多くの国民にとっては青天の霹靂だったと思いますね。

姜尚中


私は象徴天皇は、天皇制自体は文化的に見れば悠久の歴史を持っていても、70年の歴史の中で絶えず進化していく。ですから民主主義が未完の革命であると同じように、象徴天皇性も進化していくし、それを最後に決めるのは国民であるということをしっかり国民が認識しなければいけない。


 世の保守派のブログでも、姜尚中のことばを「天皇は国民が決める」「天皇陛下は国民が選ぶ」と言い換えて批判している人がが多いようだが、これは曲解だろう。私も姜尚中の主張には賛同しないが、いくら主旨に賛同できないからと言って、ことばをすり替えで批判するのは、逆に墓穴を掘っているようなものではないか。批判するなら真正面から、と言いたい。

 憲法第一条は、天皇を「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定している。姜尚中の主張は、この天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」という部分を引用したものと思われ、一見、正論であるかのように思われる。

 しかし、それでも姜尚中の主張は失格だ。それは、「文化的に見れば悠久の歴史を持っていても、70年の歴史の中で絶えず進化していく」というくだりに見て取れる。姜の主張は、戦争の前後で「天皇制」が変わったという前提に成り立っているが、それは皇室の普遍性を無視しているという点において、落第なのだ。渡部昇一氏は、二千年もの間、継続した組織として皇室とローマ・カトリック教会を並べ、こう主張している。

 両者の共通点は、財力や武力で支配する組織ではないということだ。ローマ法王庁にしても、皇室にしても、普通の国から見れば吹けば飛ぶような財力しか持っていないし、武力はないのである。財力も武力も持たない組織が何故、ここまで続くことができたのか。
 それはやはり、この二つの組織が、その内部に属する人々の精神的な支えとしての働きをしているからである。それがそれぞれの組織のアイデンティティーであり、バチカン市国や日本国家の「底力」を生み出しているのである。
 組織がその「底力」を維持する最大の条件は、組織としての原理を動かさないことだ。日本ならば男系世襲を守ることであり、ローマ・カトリック教会ならば、法王(使徒の後継者代表)は結婚せず後継者を男子に限ることなのである。

渡部昇一著「知っておくべき日本人の底力」より


 日本の皇室が二千年以上続いてきたのは、「国民の精神的な支え≒国の省庁、国民統合の象徴」であったわけで、象徴天皇の「制」を付けたから全く新しい天皇像が現れたわけでなく、古来からそういう概念はあったのだ。

 最近、盛んに取り上げられる「愛子天皇待望論」、「女性宮家創設」などは、憲法の「日本国民の総意に基く」という部分を巧妙に利用したもので、姜尚中の「最後に決めるのは国民」というのは、「国民の意思があれば、天皇制などは変えられる」というのもその文脈で出てきた発言だと思われる。むしろ、こういう「誘導」にこそ、国民の側は注意すべきだろう。



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[ 2019/05/07 07:08 ] メディア | TB(0) | CM(8)

望月衣塑子の妄想 ~ 9条は「人類が築いてきた理想や理念、英知の結集」ww

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 昨日書いた、NHK、もしくはメディア全般のガンを象徴するような元NHKジャーナリストの永田浩三だが、憲法集会の同じアジ演説、通称「安倍君、憲法をいじるのはやめろ」で、望月衣塑子のことを「希望の光」と大絶賛していた。

 「今、官邸記者会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が菅(義偉)官房長官からさまざまな圧力を受け、質問が十分にできない中、それでも、われわれの知る権利の代行者であろうと必死で頑張っています。私には人ごととは思えません。でも、私と大きく違うのは、望月さん自身が勇気を出してSNSや集会で状況を発信し、市民とともに事態を共有することで、ジャーナリストを含めた連帯の輪が広がっていることです。市民とジャーナリストの連帯、メディアを市民の手に取り戻す。希望の光がわずかに見える思いです」


 永田は、望月が「SNSや集会で勇気を出して発信している」と言っているのだが、多くの国民から見れば、記者会見で延々と憶測をベースにした私見を述べることによって、「勇気を出して恥を晒し続けている」という風に映る。望月が菅官房長官に向ける質問は、質問という名のアジ演説であって、そもそも質問にすらなっていない。質問しているようで、憶測とレッテル貼りによって、印象操作をしているだけである。倒閣運動を展開する陣営からは“ジャンヌダルク”などと持て囃されてはいるものの、望月に対して嫌悪感を吐露するジャーナリストも少なくない。

 さて、その望月、福井市で護憲派団体が開いた「憲法を守り育てる集会」で、また荒唐無稽なことを発信しているようだ。

望月衣塑子記者が憲法の意義語る ― 福井で講演「権力に抵抗するため」

 憲法記念日の5月3日、護憲派団体による「憲法を守り育てる集会」が福井県福井市のアオッサで開かれた。東京新聞社会部の望月衣塑子(もちづき・いそこ)記者(43)が講演し、「憲法は権力者が個人の自由や尊厳を奪うことに抵抗するためにある」と主張した。

 「戦争する国づくり反対!福井総がかりアクション」と「9条の会・ふくい」が主催し、約450人が参加した。

 望月記者は憲法9条について「人類が築いてきた理想や理念、英知を結集したもので2項にある戦力不保持、交戦権否認にその精神が最も集約されている」と主張。その上で、安倍晋三首相が提起した9条への自衛隊明記は「2項を無力化しようとしているのではないか」と危惧した。

望月衣塑子


 さらに安倍政権下で米政府からの防衛装備品の購入が近年増えていることや、2015年に成立させた安全保障関連法を例に挙げ「日本は今、アメリカに言われるままに戦える国に変えられようとしている」と持論を展開した。

 官房長官記者会見での自身の質問が首相官邸から「事実誤認」と断定され、18年12月に質問制限ともとれる要請文が官邸記者クラブ宛てに出されたことにも言及。会見は、国民の知る権利を行使するためにあると訴えた。

 集会後はJR福井駅周辺で護憲を訴えるデモ行進が行われた。


 要請文とは、官邸報道室が東京新聞に対して出した「特定の記者が事実に基づかない質問を繰り返している」ことに対する問題意識の共有であり、事実に基づく質問をして欲しいという依頼文のことだ。東京新聞から「長官に意見を述べるのは当社の方針ではない」という回答が出され、「事実に基づく的確な質問を心掛けるよう同記者を指導していく」という見解も併せて提示されていることを考えても、望月のスタンドプレーを東京新聞が見て見ぬふりをしているのだと思われる。いずれにせよ、官房長官の会見をアジ演説の場として利用するのは、ジャーナリストの本分だとは理解しがたい。

 望月は、反安倍陣営によって、あたかもイデオローグのように仕立てあげられているが、彼女が語ることは希望的観測に基づく、根拠の薄いものだ。9条2項が「人類が築いてきた理想や理念、英知を結集したもの」であるなら、同じ条文を盛り込む国が増えているはずだ。日本の憲法は世界の憲法の中で最古の部類に入るもので、他の国は何度も憲法改正を行っている。9条2項の理念を盛り込もうと意図するなら、既にそうしている国があって当然だ。

 だが、この9条2項は日本国憲法のみが採用する条項だ。理由はひとつしかない。こんな空想的平和論では国が守れぬと考える国が圧倒的だからである。望月の理論は、戦後の護憲派が繰り返し述べてきたテーゼと同じで、何も新しいものはなく、むしろ手垢にまみれた理想論と言えるだろう。だが、9条信仰に篤い護憲派が布教したところで、その宗教は世界的広がりを見せるわけがない。

 戦後の護憲派は、そろそろもっと説得力があるセリフを考えた方がいいのではないか。彼らにはまったく進歩がなく、同じ空想論を繰り返すだけだから、望月のような低俗なジャーナリストをイデオローグに仕立てあげるしかないのではないか。要するに、望月は、護憲派の思考停止の象徴なのだ。


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[ 2019/05/06 07:24 ] メディア | TB(0) | CM(13)

護憲派集会で、後出しジャンケンで安倍総理を批判するエセ・ジャーナリスト

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 5月3日の憲法記念の日とその前後に、憲法に関する集会が各地で開かれている。改憲推進の会もあれば、護憲派の9条改正阻止を含む原理主義者たちの集会も多く開かれているようだ。有明防災公園で開かれた「平和といのちと人権を!5.3憲法集会2019ー許すな!安倍改憲発議ー」という集会は、この手の集まりではお馴染みの「いつものメンバー」が主催、共催しているものだが、立民枝野、民民玉木、共産志位等の倒閣野党の党首クラスが揃った“豪華”な顔ぶれで、護憲派集会の中でも最も大規模な会だったと思われる。

 そこで登壇したのが、元NHKプロデューサーで武蔵大教授の永田浩三だ。永田は安倍総理と同じ1954年生まれであるとし、「大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい」と、安倍総理に説教を始めたそうだ。産経が詳報を掲載している。

 「大学を卒業し、安倍君はサラリーマンを経て、政治家になり、私はNHKのディレクターになりました。ある時、思いがけない接点ができました。2001年のことです。私は、日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組の編集長でした。一方、その時、安倍君は内閣官房副長官。君は放送の直前にNHK幹部たちにちょっかいを出し、番組が劇的に変わってしまいました。

永田浩三


永田町でどんなやりとりがあったのか。その後、朝日新聞の取材で輪郭が明らかになっています」 「私は抵抗しましたが、敗れました。体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました。悔しく、また恥ずかしいことです。あのとき君はそれなりの権力者でした。放送前に番組を変えさせるなんて、憲法21条の言論の自由、検閲の禁止を犯すことになり、そのことが世の中にさらされれば、君は今のような総理大臣になっていなかったことでしょう」


 「日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組」とは、NHKが2001年に放送した、「問われる戦時性暴力」という、いわゆる慰安婦を扱った番組である。模擬裁判を開き、「天皇裕仁及び日本国を、強姦及び性奴隷制度について、人道に対する罪で有罪」との判決を言い渡した。検事にはわざわざ北朝鮮人を4人充て、そのうち2名は、当時すでに工作員と判明している人物だった。その番組を指揮したのが、永田である。お里が知れるとはこのことだ。

 朝日新聞がその番組が「安倍晋三氏、中川昭一氏のふたりの政治家にようる圧力によって、番組内容が改変させられた」と報じ、NHKが事実無根と否定。NHKと朝日が真っ向から争う珍事となったが、結局は「取材が十分であったとは言えない」という朝日新聞の公式見解が示され、朝日の完敗に終わっている。ちなみに、朝日は取材が不十分とは言ったが、謝罪は拒否している。

 要するに、負けた事案をほじくり返し、政治介入があったとしているのが永田なのだ。この恥ずかしいスピーチは、永田の私怨の吐露として受け取る以外、不可能だ。永田は「体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました」と言っている。公衆の面前で、後出しジャンケンのような安倍総理の批判をするなら、何故早く口を開かなかったのか。仮にその沈黙が、NHKでの職を失わないためだったなら、沈黙も、この期に及んでの安倍総理批判も、卑怯というしかあるまい。永田がNHKを去ったのは2011年だ。


 「政権交代が加速する」?
 そういう非現実的なことを呟いた時点で、“元”とはいえ、ジャーナリスト失格だろう。


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