私的憂国の書

民主主義を希求しつつ、日本における戦後民主主義を否定する。真の主権回復は戦後レジームの打破から生まれる。
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「少年犯罪」と「人権」と「人権真理教」

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 川崎市川崎区の中学1年、上村遼太くんが遺体で見つかった殺人事件で、18歳の少年が犯行を自供した。ネットでは逮捕のかなり前から、この少年の事件への関与が取り沙汰されていたわけで、一応、事件は一般の報道や巷での噂通りの帰結を見たわけである。上村くんのご冥福を心からお祈りしたい。

 18歳少年の父親は、先週末の時点で、「息子は今回の殺人に関与してはいない」とメディアに語っていた。それは、息子に確認したという根拠によるコメントであり、絶対的な自信をもってのコメントではなかったのだろう。冷酷に物言いするなら、この少年の保護者の責任は限りなく重い。人を殺めることが何を意味するのかという、生の根源的なことすら教えてこられなかった周囲の大人は、自らを戒めるべきだ。

AtVN18n.jpg


 今回の事件でも、少年犯罪の報道に関する悪しき面ばかりが目立った。被害者である上村くんは、殴られた後にアザができた顔写真を毎日のようにTVで晒されてきた。これは、人権への侵害ではないかと思うのである。亡くなった人に人権はあるのかと言われそうだが、亡くなった人の尊厳だって保たれるべきだろう。TVメディアは、刺激的なビジュアルを出せば視聴率が上がると思っているのだろうが、何かと言えば人権!人権!と叫ぶ人権真理教の信者たちは、こういう報道の仕方にこそ、声を上げるべきではないのか。

 一方で、加害者としてほぼ確定した18歳のリーダー、および、17歳の2人については、彼等の素性は頑なに秘匿されている。当然ながら、彼等の年齢が少年法の適用範囲であることからの対処だろうが、彼等の人権に対する扱い方は、被害者である上村くんのそれと比較して、余りにもアンバランスであるように思う。

 大東亜戦争後の混乱期に、食糧不足で窃盗や強盗などをする孤児・少年が激増したために、これら少年を保護するために制定されたのが現行少年法であるならば、時代や状況が変わった今、少年法は間違いなく改正すべきだろう。この法に関する指導者がGHQであった事実の有無にかかわらず、見直しは必須である。当初は、犯罪を犯した少年を再教育し、真っ当な社会生活を営むことができるように更生させることが目的だったのは確かだ。しかし、少年である以上、社会的制裁を受けなくて済み、それがともすれば「特権化」するようになることがあれば、悪の根絶から逆に遠ざかってしまうのではないのか。

 やってはいけないことをやれば、その代償として制裁を受けるという普遍的価値は、すべからく尊重されるべきである。人を殺めるというのはそれ自体が異常犯罪だ。性犯罪者にも共通することだが、そういう素地をもった人物が社会復帰した時、その人物の過去を知らずに近づけば、第二の被害者が出る危険だってあるのだ。犯罪者の人権を尊重するあまり、第二の被害者の人権を蔑ろにするようなことになれば、それこそ本末転倒である。

 私は「人権」を声高に叫ぶ「人権真理教」の信者ではないが、殊更「人権」に敏感な人々は、誰の人権を第一に守るべきなのか、もう一度考えた方が良いのではないか。
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[ 2015/03/03 07:20 ] 社会問題 | TB(0) | CM(10)

反日全体主義国家との友好は、恐らく千年はない

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 「歴史を忘れた民族に未来はない」ーーこれは、南朝鮮にとって日本を批判する時の常套句である。

 歴史を忘れた?日本は、古の時代から独自の文化を形成し、漢字の輸入はあったものの、そこから万葉仮名を生み出し、歴史を綴ってきた国である。地域紛争に明け暮れていた欧州や支那の歴史は、元の王を倒した新王朝が編纂するから、歴史と言っても完璧な信憑性は持ち得ない。我が国の場合、神話の時代から2700年に渡って王朝の変更が皆無であり、国の歴史は概ね史実に忠実に伝承されてきていると思われる。日本国民にとって、歴史は忘れようがないものなのだ。

 朝鮮が日本の統治下にあった1919年に起きた「三・一独立運動」という独立運動の記念式典がソウルで開かれ、朴槿恵は再度、日本に対する友好の条件を連呼したという。「より成熟した未来50年のパートナーになり、新しい歴史を共に積み重ねていくべきだ」と述べたことに対し、時事通信など「戦後70年談話など日本の姿勢を見守り、現時点ではいたずらに刺激しないよう努めたとみられる」と伝えているが、朝鮮系メディアを含めた報道によれば、軍慰安婦問題などで「日本が勇気を持ち、正直に真実を認める」よう求め、慰安婦問題については「必ず解決すべき歴史的課題」と指摘、竹島問題などを念頭に「日本政府の教科書歪曲の試みが続いていることも、隣国関係に傷を与えている」とも批判している。要するに、従来からの姿勢に変化があるわけではない。

朴槿恵


 朴槿恵の任期はまだ3年も残されている。道半ばにも達していない時点で支持率が20%台まで落ち、ただでさえナショナリズムに高揚する日に、日本叩きをしない手はない。「現時点ではいたずらに刺激しないよう努めた」というのは、過度に好意的である。言っている内容は、かつて告げ口外交で日本を騒がせた時に言及した内容とほぼ同じなのだから。

 政権末期に反日カードを振りかざす歴代の大統領と異なり、朴はスタートダッシュで日本を敵視し、支那に擦り寄り、李明博が悪化させた両国の間にくすぶるの火種に油を注いだ。南鮮司法の、国際的には到底理解できない司法判断の連発は、明らかに朴の路線に乗ったものだろう。先ごろ終了した通貨スワップなど、朴の政治姿勢が招いた負の結果なのは明らかなのに、彼の国のメディアも国民も、その責が日本にあると言わんばかりである。

 あと3年もの任期を残した朴以後の政治体制を論ずるには時期尚早だが、次に誰が出て来ようと、南鮮のリーダーというのは、歴代政権が作ってきた、「硬直した反日全体主義」に拘束され、身動きが取れないと考えざるを得ない。彼の国における民族の結束は、全てとは言わずとも、反日という価値観によって成されるものだ。日本が如何に正論で対抗しようとも、実は無意味である。何故なら、日本を叩くためなら「歴史は創作しても良い」というのが南朝鮮の特性だからである。

 南鮮の政治リーダーは、日本を恨むのではなく、反日全体主義を形成すべく反日教育を推し進めてきた、過去の政治リーダーを恨むべきだ。恨む相手が違うと彼等が認識するまでには、恐らく千年の時を要するだろうが…。少なくともその間には真の友好などあり得ない、間違いなく。
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[ 2015/03/02 07:18 ] 外交 | TB(0) | CM(8)

本多勝一と朝日新聞にとっての「事実と公平性」とは何か

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 いま、北海道の実家に帰省しています。実家に帰ってきた時の密かな楽しみは、書棚を漁ること。私の兄は、いわゆる左翼思想が強く、実家の書棚には本多勝一の「貧困なる精神」シリーズがずらりと並び、朝日文庫の本多著作にも事欠きません(笑)

日本国家、日本人の敵、本多勝一
本多勝一


 自分で金を払って買い求めることはない、そういった書籍をパラパラとめくっていると、本多的、ひいては朝日的なジャーナリズムの思想の一端が見えてくるような気がします。

 例えば、事実とジャーナリズムとの関係性です。ベトナム戦争の取材を通して、本多は事実とは何かということに対する再検討を迫られたとし、その名の通り「事実とは何か」という書籍の中でこう述べている。

 再検討の結果明らかになったのは、いわゆる事実ーー絶対的事実というものは存在しないということです。真の事実とは主観のことなのだ。主観的事実こそ本当の事実である。客観的事実などというものは、仮にあったとしても無意味な存在であります。(中略)
 主観的事実を選ぶ目を支えるもの、問題意識を支えるものの根底は、やはち記者の広い意味でのイデオロギーであり、世界観ではないでしょうか。全く無色の記者の目には、いわゆる客観的事実(つまり無意味な事実)しかわからぬであろうし、その全風景を記録することが前述のように不可能である以上、もはや意味のある選択をできずに、ルポ全体が無意味になります。

本多勝一「事実とは何か」より


 本多は、全体像を見で記事化することにジャーナリズム的意味を見出さず、その中から自分のイデオロギーに基づくある特定の事柄をピックアップし、それを記者の目線で書くことこそがジャーナリズムと言っている。つまり、読者が記事や記事に客観性を求めても、記者の側にそんな思想がはなからないのです。恐らくこれは、情報がメディアから読者に、一方的に与えられるものであった時代には通用したかもしれない。言い換えるなら、今の時代に、本多的ジャーナリズムは生きていけないのです。いみじくもそれを象徴するのが、昨年の朝日新聞による慰安婦報道の謝罪と訂正です。

 次に、朝日新聞が著しく欠く、公平性という問題です。

かつて中国での日本軍の行動を中国人の視点から報道したとき、これを批判する投書の中に「公平にせよ。中国人だって虐殺した」という意見がかなりあった。「中国人だって虐殺」したといった誤った認識の問題はのこでは問わないとしても、こういう極端に無知でインチキな「公平」があるだろうか。日清戦争以来五十年間に渡って延々と一方的報道をしたあとで、わずか一回だけ中国の視点を出すときに、そこで「公平」を期してまたしても「日本軍の視点」をセットにせよというのである。全く物理的に、これは無茶ではないか。

本多勝一 「職業としてのジャーナリスト」より


 「日清戦争以来五十年間に渡って延々と一方的報道をした」のは、何を隠そう、本多の朝日新聞です。GHQの検閲に屈して態度を180度転換した朝日新聞にとって、なんら悪びれるところはないらしい。まぁそのような指摘は脇に置くとしても、客観性を全く考慮しないと公言した本多にとって、記事を書く上での公平性など必要がないものだということです。

 本多の「中国の視点」を基にした記事は、「わずか一回」などではありません。まして朝日新聞全体を俯瞰すれば、「中国の視点」が「日本の視点」より上位に位置づけられてきたのが戦後の朝日新聞です。本多の言説のうち、「中国の視点」を「左翼の視点」と読み替え、「日本軍の視点」を「保守の視点」と読み替えると分かりやすい。本多的および朝日的報道側にしてみれば、保守的価値感を左翼的価値感と相対軸に置く必要など、ハナからない。これは、本多以後の朝日にも共通するものの考え方なのです。

 ネタは記者の主観で拾い、イデオロギーを以って記事を書くーー朝日新聞とは、報道機関というより、やはりどこかしら宗教性を帯びている。読者に支えられるメディアを標榜しつつも、「視点」は俺たち主観で決める、客観性など必要ないというなら、新聞の看板を下ろし、宗教法人に登録したほうがよいでしょう。
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[ 2015/03/01 11:27 ] メディア | TB(0) | CM(13)

戦後70年談話における「侵略と植民地支配」引用を「空気」で支配しようとするマスメディア

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 戦後70年談話に関する報道がかまびすしい。安倍総理の私的諮問機関であり、戦後70年の首相談話に盛り込む内容を議論する有識者懇談会「二十一世紀構想懇談会」の初会合が25日に開かれたことを受け、各紙は一斉に社説で持論を展開している。焦点はただ一つ、村山談話の踏襲と、植民地支配・侵略といったキーワードの扱いだ。

二十一世紀構想懇談会
「二十一世紀構想懇談会」初会合


朝日新聞 (26日社説)

 (村山談話を)全体として引き継ぐと掲げながら、植民地支配や侵略といったキーワードを村山談話もろとも棚上げにしてしまうのが新談話の目的ならば、出すべきではない。そうした意図があればすぐに見透かされ、「過去に目を閉ざす者」と世界に受けとられるのが落ちであろう。


毎日新聞(27日社説)

 もしも、村山談話の核心的な表現を薄めるために、20世紀の教訓が語られるとしたら、70年談話は日本の国際的な立場を強めるどころか、無用な反発を招き寄せてしまう。


中日・東京新聞(27日社説)

 植民地支配と侵略への反省とお詫びは、外交の基盤となってきた歴史認識の根幹だ。全体として引き継ぐと言いながら、核心部分を変えることがあってはならない。


 日本と日本人の矜持などどうでもよく、ただひたすら支那や朝鮮の歴史観に隷属しつつ、偽善の友好をはかれと主張する左派新聞の論説は、どこを切り取っても金太郎飴のように同じだ。朝日など、別の記事で「有識者の議論が実際にどこまで反映されるかは見通せない面もある」と批判的な態度を示しているが、有識者会議が談話の内容を決めることなどあり得ず、最後は総理の判断なのだから、当たり前である。こういう一面的な世論誘導には要注意である。

 ちなみに、産経は「その表現(「侵略」や「植民地支配」)にこだわりすぎれば、中韓の歴史戦、宣伝戦にからめとられかねない」と、キーワードの使用に警戒感を示しているが、読売は「戦後70年の今年、中国は反日宣伝を本格化させており、首相談話も歴史をめぐる宣伝戦に組み込まれようとしている。そうした国際情勢も踏まえ、冷静で戦略的な対応が安倍首相には求められる」と、踏み込みはかなり甘い。

 朝日や毎日などの論調は、何も新聞業界に限ったことではなく、テレビや雑誌など、メディア全般に幅広く浸透している。村山談話、河野談話は、彼等が死守しなければならないと考える防衛ラインだ。安倍政権は慰安婦問題の検証を通し、朝日新聞を訂正と謝罪にまで追い込んだ。その同じ轍を踏むまじと決意したから、「植民地支配と侵略は必ず盛り込め」と、血相変えて主張するのだろう。

 朝日や毎日などをはじめとする左派系メディアが狙うのは、「空気の支配」だろう。山本七平は、著書「「空気」の研究 」で、「善という把握ともう一方へのその対極である悪という把握がともに絶対化されれば、両極への把握の絶対化によって逆に自己を二方向から規定され、それによって完全に支配されて、身動きができなくなる」と書いている。そして山本はこう続ける。

双方を「善悪という対立概念」で把握せずに、一方を善、一方を悪、と規定すれば、その規定によって自己が拘束され、身動きできなくなる。さらに、マスコミ等でこの規定を拡大して全員を拘束すれば、それは、支配と同じ結果になる。すなわち完全なる空気の支配になってしまうのである。


 左派系メディアは、村山談話を善とし、それを蔑ろにしようとする安倍総理を悪と規定することによって、論陣を張っている。彼等は、情緒論を織り交ぜながら、「和」を尊重する日本人の特性に訴えかければ、それが「空気」として醸成され、ある程度の効果を得られることを、経験値として持っているのだろう。

 安倍談話が、村山談話の「侵略と植民地支配」をそのまま盛り込めば、安倍政権が支持層の支持を失うだけでは終わらず、日本外交が中韓の歴史観に拘束される時代が、今後長きに渡って続くことになる。左派系メディアが根底に据える「善悪の定義」に惑わされずに、自分の頭で考えることが、今の日本人には必要だ。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
山本七平
「空気」の研究 (文春文庫)


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[ 2015/02/28 08:26 ] メディア | TB(0) | CM(7)

日本人が日本に誇りを持ってはいけないと考えるマスメディア

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 拙ブログでは日常的に朝日新聞を取り上げているので、たまには毎日新聞のことも書いてみようと思う。とは言っても、毎日新聞の社説や余録ではなく、恐らく社会面(私は紙面を確認していないので…)に掲載されたであろう、日本礼賛本に関する皮肉たっぷりのコラムである。書いたのは、小国綾子という、極めて評判の悪い記者だ。

 書店で“嫌韓・嫌中本”をしのぐ勢いで売れているのが「日本はこんなにスゴイ!」と褒めたたえる“日本礼賛本”だ。謙遜が美徳、自己PRは下手だったはずのこの国で今なぜ、この手の本が売れるのか。理由が知りたくて、尋ねて回った。【小国綾子】(中略)

 昨年は「呆韓論」など韓国や中国をたたく書籍が多くベストセラーに入り、「嫌韓・嫌中本ブーム」として注目された。「読者も飽きてきた」(間渕さん)ところで盛り上がったのが、今回の「日本礼賛本ブーム」だ。ネット上では「ヘイト本ブームと表裏一体」「まるで“愛国ポルノ”」などの批判の声もある。

 もっとも間渕さんは「日本礼賛本=嫌韓・嫌中本の裏返し」という図式には懐疑的だ。「愛国心を動機に読む人だけなら数万部止まり。16万部も売れません。確かに1冊目は最初、産経新聞の読者層や嫌韓・嫌中本を読む50、60代男性に売れた。しかし読者層は広がり、2冊目は女性にもよく読まれている」

 多くの読者を引きつけるには、もっと別の理由があるということか。

 過去にも、日本や日本人をたたえる本が売れた時代はあった。「『日本人論』再考」の著者で東大名誉教授(文化人類学)の船曳建夫(ふなびきたけお)さんは、その手の書籍がブームになる背景には常に「不安」があったと指摘する。「明治維新以来、国が苦境にある時も右肩上がりの時にも、日本人論は日本人がアイデンティティーに不安を抱えた時代に流行し、不安を癒やす『安定剤』の役目を果たしてきました」

 船曳さんによると、日本人論ブームの第1期は日清・日露戦争の富国強兵の時期の「武士道」(新渡戸稲造著)や「代表的日本人」(内村鑑三著)など。西洋の先進国と比較し、日本をポジティブに評価しようとした外向きの時代だ。第2期は29年世界恐慌から開戦ごろまで。九鬼周造の「『いき』の構造」など「日本は非西洋である」を前提に日本の伝統に価値を求めた内向的な時代。


 まず、嫌韓本と言われるカテゴリーの人気が一段落したのは、南朝鮮が「ああいう国」であるということが、一般常識化したからではないだろうか。兎に角、半島発の報道にはロクなものがない。朴槿恵の反日路線継続・拡大も、間違いなく負のイメージを促進した。ひと頃の韓流ブームとやらも、とうに去り、大久保界隈は閑古鳥が鳴いているらしい。嫌韓本に読者が飽きたという部分がないこともないだろうが、それより、日本人の「南朝鮮像」というものが、“ある底辺”で半ば固定化されたのではないかと思う。

 日本や日本人を誇る本を「礼賛本」と称する底意に、否定的な考えがあることを、記事の行間から読み取ることができる。ネット上の「ヘイト本ブームと表裏一体」「まるで“愛国ポルノ”」という批判的な書き込みだけを引用する部分からも、この記事がそのような書籍のブームを決して肯定的には捉えていないことが分かる。そういう意味でも、毎日新聞的だ。

 この際、東大教授の小難しい解説も、必ずしも的を得ているように思えない。過去に「日本人論」書籍がブームになる背景には常に「不安」があったとし、その手の本は日本人の不安を癒やす『安定剤』の役目を果たしてきたと解説しているが、今の一般社会に安定剤を必要とする「アイデンティティの不安がある」と言われてもピンと来ない。

 「日本人論」書籍のブームというのは、不安というより、むしろ今まで否定されてきた日本人像への反動ではないのだろうか。日の丸すら右翼的と見られた時代もあった。我々戦後世代はずっと、日本人は邪悪であると教えられてきた。「民族」とか「祖国」という言葉がマスメディアに敬遠され、日本人のアイデンティティなど持たなくても良いという空気が、社会を支配してきた。ただ、そういう社会もネットの普及によって徐々に崩れ、日本人=悪玉というサヨクのテーゼに疑問を呈する層が増えたことは確かである。そのような変化に伴って、「日本とはなにか」「日本人とはなんなのか」を探る本が人気を博するのは自然の帰結であるように思う。国家に関する知識や教養が、日本人に圧倒的に不足していたことの反動なのではないか。

 毎日新聞の記事なので、結論は反日であることには変わりない。記事はこう結ぶ。

 日本礼賛本を「自己啓発本の変種。不安な時代に自己否定的にならず、自己肯定するための実用ツール」と見る高瀬さん、「本は本来、内面の反省を迫る存在だったはずなのに」と懸念する。

 船曳さんからはこんな一言も。「適度なお国自慢は望ましいが、『いいことだらけ』とか『世界で一番』とか、他国を見下すところまで行くと、排他的になり、社会は劣化する。自国の首を絞めます」

 日本を礼賛し過ぎて、自国の足を引っ張ったのでは笑えない。


 やっぱり毎日新聞は、毎日新聞的なのである。彼等は、日本人が日本に誇りを持ってはいけないと考えるマスメディアなのだ。
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[ 2015/02/27 07:18 ] 史観 | TB(0) | CM(8)
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