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 米国のソニー・ピクチャーズエンタテインメントが、北朝鮮の金正恩第1書記の暗殺計画を描いた「ザ・インタビュー」という映画を制作し、全米での公開を予定していたが、「平和の守護者」を名乗るグループのサイバー攻撃で会社と映画館が標的とされ、結果的にソニーピクチャーズが公開を中止した。FBIがこの「平和の守護者」によるサイバー攻撃を北朝鮮の犯行と断定した捜査結果を発表したことに触れ、オバマは北朝鮮に「相応の対応をとる」と警告し、報復措置に踏み切る意向を示した。

 指導者の狭量さは、南北朝鮮の共通項 ―― 民族の共通点なのだろう。南朝鮮では、日本のメディアが毎日必ずレポートする「首相動静」のようなものはないらしい。朴槿恵が自身の「動静」に関するスキャンダラスな記事を書いたメディアに圧力をかけ、産経の元ソウル支局長を軟禁拘束し、国内メディアである世界日報も告訴という形で恫喝されている。一方、北朝鮮の金一族も、ネタにされるのは御嫌らしい。金正日が7cmのシークレットブーツを好んで履いていたというエピソードは、情報統制が敷かれる北の民族に知れ渡ることはないだろうが、そもそも北の首領様にとって愉快な情報ではない。

 映画を通しての表現の自由は、基本的には保証されるべきものだ。だが、もしその映画に納得し難い内容、事実誤認、プロパガンダが仕込まれているなら、我々は北のようにサイーバー攻撃のようなテロを手段として取るのではなく、正々堂々と言論で抗いたい。

アンブロークン

 カニバリズム(共食い)が如何に日本民族の伝統に馴染まない風習なのかは、日本人自身が一番良く理解している。死者はみな神になると信じられてきた日本人が、カニバリズムを是とする習俗を肯定したなら、日本文化が成り立たないのだ。2008年に香港で起きた「少女バラバラ殺人、遺体を肉屋で販売事件」、2009年の、4歳女児の遺体の一部を火鍋で食った「中国広州食人事件」、2012年の雲南省昆明で、「20人以上を食した食人魔事件」など、カニバリズムが支那に見られる特有のものである傍証はいくらでも存在する。

 東京裁判は、いわゆるA級戦犯ばかりがクローズアップされがちだが、捕虜の虐待というかどで裁かれた先人はもっと多い。「木の屑を食べさせた」という捕虜虐待の告発は、実はごぼうを食べさせただけだったというのは有名な話。ビンタ一発で死刑になった日本人も居る。ところが、東京裁判史観をひたすら守る戦後民主主義に毒された日本人は、先人の名誉を回復するという義務を怠ってきた。その怠りが、「日本人の極悪な戦争犯罪」という物語にすぎないものを、世界で既成事実化させたことは否めない。映画アンブロークンも、その成果物のひとつだろう。

 旧日本軍は、東南アジアの各地に設置した捕虜収容所の監視員の多くに、朝鮮人・台湾人の軍属を充てていた。なかでも、朝鮮人の凶暴性については数多くの証言が残っており、「一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった」、「体罰では、日本兵よりも彼ら(韓国人)を遥かに恐れた」、「日本人戦犯の責任を軽減するつもりは毛頭ないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だった」という証言もあるほどだ。(出典:wikipedia) 当時、朝鮮民族は日本人であったため、一部であるとはいえ、日本人の民族性からは考えられないようなことも起こったのだろう。これも、朝鮮併合の悪しき遺産の一つだ。

 アンジェリーナ・ジョリーによる「アンブロークン」を、仔細に検証することはできないが、各種報道で知る限り、この映画は事実に基づくものでなく、悪質なプロパガンダ映画であるという属性が強い。映画は、日本の捕虜になったルイス・ザンペリーニという人物の証言に基いて制作されているという。彼の証言について、ジョリーが検証を行ったという話は寡聞にして知らない。慰安婦問題が、自称慰安婦という女優たちの証言によってのみ結論付けられてきたことと、構図がまったく同じだ。

 この「アンブロークン」という映画を、捏造プロパガンダ映画としてボイコットすることは、表現の自由に対する挑戦でもなんでもない。制作側が事実誤認しているのであれば、それに抗議の意を示すのは当然である。同時に、我々日本人が、先人たちの名誉回復をしてこなかった反省もあるべきだ。幾ら時間がかかっても、この努力は継続しなければならない。

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 衆院選があった関係で、南朝鮮のことなど頭からすっぽり抜けていたのだが、久々に南鮮メディアのサイトをチェックしてみると、慰安婦関連の侮日記事が増えているように思う。昨日書いた、NYT、WP、LATなど、願ってもない米国メディアの援護射撃のもと、「ここは一気呵成に」と考えたことも背景にあるのだろう。だが、最も大きな理由は、南鮮が忌み嫌う安倍政権が選挙に勝利し、長期政権がほぼ確定したことがあると思われる。来年は戦後70周年であり、日韓国交正常化から50年という節目の年だ。河野談話に変わる談話を模索する安倍総理を今から攻撃し、出鼻を挫こうとするためのキャンペーンだ。

 また、朴槿恵の疑惑の7時間を記事にした産経新聞の加藤前ソウル支局長を起訴し、報道の自由を蔑ろにした暴挙に海外メディアが反発したため、青瓦台がその矛先を逸らそうという狙いを持っていてもおかしくない。いずれにせよ、反日を国是とする南鮮民族にとって、対日批判は酸素であり生活必需品だ。彼等は常に新しい反日ネタを探している。そこに「憲法9条にノーベル平和賞を」運動が餌として輸出された。

「憲法9条にノーベル平和賞を」 韓国でも署名運動 (聯合ニュース)

【ソウル聯合ニュース】日本国憲法9条のノーベル平和賞受賞に向けた日本市民団体の取り組みが、韓国にも広がった。「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の韓国委員会は18日、ソウル市内で記者会見を開き、「日本国憲法9条のノーベル平和賞推薦に向けた署名運動に入る」と発表した。

 この運動は神奈川県内の主婦が昨年呼びかけたもので、インターネット上で約40万人の署名を集めたとされる。

 韓国からは李洪九(イ・ホング)元首相や李容勲(イ・ヨンフン)元大法院長(最高裁判所長官に相当)、詩人や学者など50人が署名した。韓国委員会の座長を務める李洪九氏は、「戦争と分断で苦しみを味わった韓国の市民が、普遍的な平和を願う心で賛同するもので、政治の現実とは別」と説明した。 

 署名運動は委員会ホームページやフェイスブックなどオンラインと、オフラインの両方で行う。


「憲法9条にノーベル平和賞を」の韓国委員会

 「憲法9条にノーベル平和賞を」という市民運動を始めたのは、「ふれ込みは神奈川の普通の主婦」だが「実はプロ市民」である鷹栖直美さんという人物だった。朝日新聞が熱心なキャンペーンを張ったが、結果は落選。一時有力候補と噂されたが、読売新聞によれば、有力候補としたのは「日本国民」という名の団体が推薦されていると、オスロ国際平和研究所の所長が勘違いしたためだったという。所長は同時に、「ある地域の人々が(全体で)何らかの責任を負う存在となることはあり得ない」と語り、国民全体への授与は不可能との見方を示している。だから、このキャンペーンは失敗なのだ。選考者に「無理!」と言われているのだから、今後も受賞の可能性はほぼないのだ。

 南鮮では「日本平和憲法9条をノーベル平和賞に推薦する韓国委員会」が組織され、座長に首相経験者が就いた。既に、最高裁長官経験者や文化人ら約50人が署名をすませ、「戦争放棄と交戦権の否定を宣言し、東アジアと世界の平和のとりでの役割を果たしてきた平和憲法が存続することを願う」とコメントを発表した。聯合ニュースの記事に在るように、座長の李洪九は、「戦争と分断で苦しみを味わった韓国の市民が、普遍的な平和を願う心で賛同するもので、政治の現実とは別」としている。ありったけの政治意図を埋め込んでおいて、それを否定するとはお笑い草だ。そんなの建前だと、誰でも分かっている。

 南鮮民族は「内政干渉」という言葉を知らない。知っているのかもしれないが、相手が日本になると、それをきれいさっぱり忘れることができる、特殊な民族だ。これは反日無罪の典型例なのだ。

 人様の国の憲法に口出しするなど、外交上は非礼に当たる。戦後、日本を占領した米国が、日本の現憲法を書き、押しつけた事実を検閲で隠し通したのは、それがバレるとのっぴきならない状況に陥るからだ。いくら未開の国だといっても、政治家連中がそういう常識を知らない筈はないが、反日プロパガンダ運動では箍が外れるのが彼の民族なのである。

 それより、北と停戦中の南鮮には、他国の憲法に干渉する前に、自国の戦争を早くどうにか収束させてもらいたいものである。「普遍的な平和を願う韓国の市民」を標榜するなら、9条のコピーを許可するから、それを自国の憲法に盛り込み、その新憲法を以って北朝鮮との平和と統一を実現してみたらいい。もし実現できたら、複製9条とともにノーベル平和賞など永遠に引き取らせて差し上げよう。

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 慰安婦問題を嘘だと告発している米国のジャーナリスト、マイケル・ヨンのFacebookをたまに覗いているのだが、ヨン氏は一昨日、小野田寛郎さんを採り上げていた。ヨン氏は、「彼(小野田さん)の物語は、何年もの間、米の軍人たちに称賛とともに広く知れ渡ってきた」と書いたのだが、多くの小野田さんを称賛するコメントの中には、米国人の「彼はフィリピンの民間人を何人も殺しただろう?」とか、「のらくらもの」「野蛮人」などという中傷も含まれている。「米国人は民間人を誰ひとりころさなかったか?」と返信したかったが、仕事中だったので辞めた。米国人の中にも、歴史を克服している人もいるし、いまだに戦勝史観にすがる人もいる。

 70年前に殺し合った二国は、「色々な問題」が残されているにせよ、世界で最も強固な同盟国となった。「色々な問題」は今後も解決しなければならないが、少なくともいま、日米は友好国である。だが、米国では、いまだに日本が絶対悪であると主張するメディアがあり、執拗な中傷を繰り返す。下記は、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、LAタイムズという米国の3大紙が、まるでタイミングを図ったように矢継ぎ早に放った社説(抜粋)である。

12月4日 ニューヨークタイムズ 「日本の歴史のごまかし」

「日本では右翼政治勢力が安倍政権の後押しを受け、第2次大戦中に日本軍が何万人もの女性に売春奉仕を強制した恥辱の歴史の一章を否定する威嚇的な運動を実行している。」
「この強制連行を、戦争で敵だった側が捏造した大ウソだとして否定する政治的努力は勢いを増している。歴史修正主義者たちは河野談話での謝罪をも撤回させようと努めている」


12月8日 ワシントン・ポスト 「日本の歴史書き換えの習慣は将来に影響するか?」

「日本は必死で忘れる努力をしている。安倍晋三首相は戦争犯罪者など存在せず、日本は戦争の犠牲者だと示唆している」
「日本の一部の重要人物たちもいまや戦争の歴史を書き換えようと意図し、安倍首相の暗黙の同意を得て、朝日新聞に強い圧力をかけ、日本の戦時の数万人の女性の性的奴隷への強制徴用を暴露した同紙の記事を撤回させた」


12月12日 LAタイムズ 「日本のナショナリストが慰安婦の歴史の修正を試みる」

「慰安婦に関する歴史の記録は明確である。この性的奴隷システムに強制徴用された女性たちの記憶は明確だからだ。だが真実というのは、日本の戦時の残虐行為の記憶を抹消しようとする日本のナショナリストたちにとって障害とはならないようだ」
「歴史をごまかすこうしたグロテスクな試みは、安倍晋三首相による日本の過去の記録の再修正の努力を反映している。安倍は日本を戦争の遺物から解放し、戦後の平和主義的な憲法を再解釈して、中国と対抗する強い軍事国家にしようとしているのだ」

(※詳しくは、古森 義久さんのコラム、「NYTに続きワシントン・ポストもLAタイムズも、上から目線で日本を叩く米国大手メディア」へ。)

LA Times Editorial
L.A. Times 「日本のナショナリストが慰安婦の歴史の修正を試みる」

 粘着性は南鮮の専売特許と思っていたが、米国メディアもなかなかの粘着質だ。彼等の主張は、簡単に言えば、「敗戦国は戦勝国の歴史を受け入れろ」ということになるだろう。二国は友好国だが、米国にとってもっとも苛烈で、多くの国民を死に追いやった戦争で戦った旧敵国日本に歴史を与えることで、米国=善、日本=悪という枠組みが崩れるのを恐れている。米国はいまだに、精神的に、日本を占領していると考えているのだ。

 そんな慰安婦関連で、興味深い記事がある。

慰安婦の料金は1時間2円、公開された資料に「強制連行ではないみたい」「日本人もいたのか!」と驚く中国人 (レコードチャイナ)

2014年12月12日、人民日報(電子版)によると、旧日本軍が1938年に中国で作成した「警備情報」が中国河北省石家庄市で公開された。そのなかには当時の慰安婦の料金表も含まれており、ネットユーザーの注目を集めている。

旧日本軍の「警備情報」の所有者は古書店の経営者・張氏。旧日本軍の罪状を明らかにするため、今年4月から古い文献や関連資料の収集を開始したという。100ページ以上ある「警備情報」は、友人を通して日本から買い求めたもの。そのなかには慰安婦の料金を「将校は1時間2円、下士官兵は1時間1円50銭」と定めた「遊興料金表」や、慰安婦の健康状態を調べた「検査成績表」なども含まれている。そこには喜楽館、日進館、新京館の慰安所3カ所と、慰安婦16人のうち4人が通院、「愛子」と「花子」が不合格との記載があった。

この報道に対する中国のネットユーザーの反応は、日本への怒りに満ちたものが多かったが、「そう思う」を集めたコメントは意外にも冷静な見方を示したものだった。以下は多数の支持を集めた代表的なコメント。

「慰安婦問題を議論することに、何の意義があるのか?南京事件だって、日本軍の残酷さを表すのと同時に、中国人の弱さを示してるんじゃないか。いつまでも他人を責めるんじゃなくて、自分を強くする努力をすべきだ」

「『愛子』『花子』って日本人の名前だよね。慰安婦って日本人もいたのか?それに健康診断って、慰安婦は強制連行されて、ひどい扱いを受けていたんじゃないの?料金があるってことは、慰安婦にも支払われていたってこと?何か、聞いていたことと全然違うんで戸惑ってしまう」

「『花子』なんて源氏名だよ。便利だからそんな名前を付けたんだ。もし、日本人がいたとしても、だまされて連れて来られたに決まってる。そんな日本女性も軍国主義の犠牲者なんだ」(翻訳・編集/本郷)


 旧日本軍の罪状を明らかにするために文献や関連資料の収集を開始したにもかかわらず、はからずも「慰安婦は売春婦」という証拠を見つけてしまったのだから、オチとしては面白い。中山成彬氏が国会質疑でつまびらかにしたように、慰安婦が職業売春婦であるという証拠は枚挙にいとまがない。前述のマイケル・ヨン氏は、米国の公文書を確認し、慰安婦が売春婦であることを確認し、「従軍慰安婦は悪質なプロパガンダだ」と発信するに至った。NYTやWPやLATの記者たちは、このような歴史的事実を追及する努力をしたとも思えない。要するに、米国主要紙が書く社説もプロパガンダに相違ないのだ。

 安倍首相は、戦後70年談話の発表に意欲を見せていると伝えられる。歴史のパラダイムを転換するような談話を期待したいが、支那や朝鮮の猛反発に加え、米国メディアの偏向ぶり、オバマの外交音痴ぶりを勘案すれば、それほど斬新なものが発信できるとは思えない。取り巻く環境が、完全に自由な談話発表をを許さない。

 やはり問題は根深い。米メディアには支那の資金もかなり入っていると言われ、その影響かで、プロパガンダは続くと思われる。安倍政権が続く間に嫌疑を晴らそうなどと、短期的な解決を目論んでも、現実的には不可能だ。しっかりと金を使い、メディアを巻き込み、ヨン氏のようなジャーナリストを支援し、場合によっては諜報も仕掛け、辛抱強く活動して行くしかない。長期戦になるからこそ、日本に再び左翼政権を誕生させてはいけない。

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 事実上の安倍政権信任選挙であった衆院選は、大方の予想通り、自公の圧勝に終わった。勝負事には常に勝者と敗者が存在するが、敗者に限って色々と言い訳を考えるものだ。総括ではなく、あくまで言い訳だ。メディアも、そして民主党の政治家たちも、投票率、自民の得票数、死に票などを引き合いに、安倍政権が信任されたわけではないと言っている。しかし、彼等は決して小選挙区制度の問題まで追及しないし、2大政党政治の見本である米国の、大統領選における死に票にも触れない。彼等にとって、自民党が勝つこと自体が問題なので、結果を悪と決め、後付けの理由を探しているだけなのだ。

 朝日新聞の豹変ぶりを見てみれば、良くわかる。民主党が総選挙で大勝し、政権交代が成ったのが2009年8月30日。その翌朝の朝日新聞は、社説でこう書いている。

 小選挙区制のすさまじいまでの破壊力である。民意の劇的なうねりのなかで、日本の政治に政権交代という新しいページが開かれた。(中略)
 うねりの原因ははっきりしている。少子高齢化が象徴する日本社会の構造変化、グローバル化の中での地域経済の疲弊。そうした激しい変化に対応できなかった自民党への不信だ。そして、世界同時不況の中で、社会全体に漂う閉塞(へいそく)感と将来への不安である。
 民意は民主党へ雪崩をうった。その激しさは「このままではだめだ」「とにかく政治を変えてみよう」という人々の思いがいかに深いかを物語る。


 民主党の勝利をもたらしたのは「民意の劇的なうねり」とするあたりは、勝利の凱歌を歌うかのようである。一方、今回の総選挙で自民党が勝利した翌日の朝日社説は、安倍政権にケチを付けたいだけだと見透かすことが容易な、愚痴のような駄文が並ぶ。

 安倍首相にとっては思い通りの、いや、それ以上の勝利だったに違いない。
 突然の解散で始まった師走の衆院選は、自民、公明の与党の大勝に終わった。
 自公両党が過半数を制する参院とあわせ、安倍政権は極めて強い権力基盤を再び手にしたことになる。
 ただし、それは決して「何でもできる」力を得たことにはならない。憲法に基づく民主主義は、選挙の勝利によって生まれた政権に全権を委任するものではない。(中略)
 争点を巧みにぼかし、野党の準備不足を突いた電撃解散。安倍氏の選挙戦略は、有権者を自民勝利への「この道」に導く極めて周到なものだった。
 そうした条件のもとで勝利を得た安倍首相は何をすべきか。過去2年の政策がみな信任され、いっそうのフリーハンドで政策を進められると考えたとしたら、間違いだ。


 同じ総選挙翌日の社説である。善意と悪意の極端な対比としては興味深いが、これを読まされている(なんとなく読んでいる、を含む)朝日読者の多くは、このバイアスに気付いていないだろう。新聞の社説とは、言い換えれば刷り込みである。慣れてしまえばすんなり喉を通る。そして、気付いた時にはもう遅く、既に朝日のイデオロギーにどっぷり浸かった結果としての自分が残るだけだ。

 社説で「決して「何でもできる」力を得たことにはならない。選挙の勝利によって生まれた政権に全権を委任するものではない」と書いた朝日は、同じ日の天声人語で、「勝利すなわち白紙委任ではないことを、お忘れなく願いたい」と同じ趣旨を繰り返し、続けて「議席数が定まっても、選挙結果は必ずしも多数派の正しさを保証するものではない」と執拗に書いている。何が何でも安倍総理の思う通りには進めさせたくない ―― そんな思いを隠そうともしない。

 言うまでもなく、民主主義というものは多数決を基本原理としている。我が国では20歳以上の国民には例外なく選挙権が与えられており、投票とうい権利を行使しないのなら、彼等は白紙委任をしたのである。メディアがそういう怠惰な甘ったれた国民を「選択肢がないから棄権する気持ちも・・・」などと、更に甘やかすから始末が悪い。多数決に参加しないで文句を言うのは、ただの野次馬なのだ。意思を示した国民の多数が一方を選べば、もう一方は決定に従う。そして、次の機会にまた意思を示せばよい。そういう基本的ルールのもとで行われる選挙に、あれこれと文句を付けて「民意」をもてあそぶのは、民主主義の否定である。

 衆院選の開票作業において、様々な不正が指摘され、複数の開票箇所における得票数の意図的な操作も疑われている。民主主義を曲げようとする動きは、何も朝日や毎日といったメディアだけのものではないようだ。朝日新聞とともに、こういう民主主義の敵は、事実を明るみにした上で一掃したいものである。


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 いつの間にかキャミソール荒井が比例で復活当選していて驚いたのだが、上には上がいるもので、もっとおぞましいゾンビが出現した。言うまでもなく、東京18区の菅直人元大総理大臣様だ。最後の議席を射止めるとい、劇的な475番目の復活劇だ。これで、2期連続の選挙区敗北と比例復活。応援に入る党幹部もほとんどおらず、最後は山本太郎の応援を受ける始末だった。落選する野党第一党の党首も救いようがないが、菅の当選は、逆にこの任期中、ずっと生き恥を晒すものとなる。

 小沢一郎の生活の党は、党所属議員が4人となり、政党要件を満たせなくなった。自民党時代から民主党時代に、金の差配でのし上がり、政党を我がもの顔にした小沢も、遂に政党助成金を受けられなくなるまで堕ちぶれた。菅も小沢も、もはや寄る人なく、ルーピーを含めて民主党の黄金期を支えた3人は完全に過去の人になった。終わった3に人のうち2人までも、この期に及んで税金で養わなければならないのは、国民にとって皮肉な結果である。

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 野党第1党党首が落選するのは、1949年1月の第24回衆議院議員総選挙で日本社会党委員長であった片山哲が落選して以来、65年ぶりのことだそうである。通称「牧場長」は、もとはと言えば、2年前の総選挙で歴史的大敗北を喫した野田佳彦の後継として党代表に就任している。当時、党立て直しを期待された歴代幹部は誰も火中の栗を拾おうとせず、海江田氏が党代表の地位に就いたと記憶している。そういう消極的態度で選んだ党代表でこの選挙を戦うことになった民主党は、戦う前から敗者だったといえるだろう。「牧場長」から「フェニックス」にあだ名が変わる良い機会だったのに、もう彼にはバッヂがない。

海江田万里は民主党代表を辞任

 選挙戦を直前にした11月30日、フジテレビの報道2001で海江田氏は、解散の理由を「消費税増税を延期するため、重大な変更であるから国民に信を問う判断をした」と説明した安倍総理に対し、「それだったら民主党とも相談してもらいたい、事前に。まったく話が無かった」と空前絶後の切り返しをした。安倍総理は「申し訳ないが、民主党といちいち相談して決めることではない」と返答したが、腹の中では呆れ、そして笑っていただろう。専権事項である解散権を行使する前に、ライバルである野党に相談する阿呆な首相がいるだろうか。残念ながら、牧場長は野党第一党党首の体を成していなかった。

 左右両翼の議員を抱えながらも民主党が割れないのは、支持母体があるからだろう。今回の選挙で、支持母体・団体を持たない政党がことごとく敗れ、維新を除く第三局が文字通り消えていった状況を見て、民主党議員らは「党を存続させねば」「党から出るまい」という決意を強くしたはずだ。しかし、民主党が民主党を守れば守るほど、国民の理解と支持は離れて行く。いくら不意打ち解散とはいえ、民主党の政策は、政策と呼べるものではなかった。2009年夏から3年3ヶ月をかけた壮大な社会実験は大失敗に終わったが、大失敗から学んだ民主党の姿を国民は見ぬままだ。「今こそ流れを変える」は政策ではない。2009年のキャッチフレーズ「政権交代」が、政策ではなく手段だったのと同じなのだ。

 野党再編は加速せざるを得ない。加速しなければ、この選挙の敗北から何も学ばないということだ。だが、野党再編は、民主党がそのままの状態を保ったままでは実現しない。私は民主党を絶対に支持しないが、建設的な野党の存在は常に必要であることは間違いない。このまま沈むか、或いは再編に着手し、政界地図を塗り替えるかは、ひとえに民主党にかかっている。願わくば、改憲勢力と護憲勢力に分かれてもらいたいと思う。高望みと批判されるかもしれないが、そういうパラダイムの大転換と呼べる荒治療を経ずして、自民と公明の連立解消は為し得ない。

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